田舎の地方議会の恐怖
本記事のまとめ
- 大山町の地方議会の最低当選は約350票
- 隣の伯耆町では無投票で議員が決定
- 良い点もあるが弊害の方が大きい
- 意思決定の原理原則から外れて、村社会の力学が支配してしまう
- 地方創生には村社会の力学からの脱却は急務
移住して初めての選挙
大山町に引っ越して初めての選挙。これまで米子→豊中→茨木→明石→横浜とわりと都市部の選挙を経験して来た身からすると、田舎の選挙って新鮮で、とても不思議で、怖いなーと思いました。その背景を纏めます。
約300人で決まる世界
この数字は、首長ではなく議会選挙の話。大山町で予想される有効投票数は約1.1万。うち19人が立候補、単純に割ると一人あたり550票。傾斜が存在するので、実際の最下位の大杖議員の347票、次点が圓岡元議員の334票でした。
無投票のケースも
隣の伯耆町ですが、ここは町議会は無投票だったそうです。つまり、手を上げたら誰でも議会に立ててしまうという状態です。なんだかんだで大山町や伯耆町は約100億円の予算があります。その会社の取締役会や株主総会の議決権を「俺やります」と言ったら持ててしまう、そんな状況です。
良い点:非常に政治が近い
議会と住民の距離が近く、自分や周りの人の一票が大きく左右する選挙であることがいえます。地方自治の観点では、
- 自分たちの代表を選ぶという感覚が非常に強い=代議制民主主義が身近
- 身近な人が立候補する為、自分の声を町政に届けやすい
というメリットは間違いなく存在します。
悪い点:政治家としての本質ではなく「身近な知り合いである」事が重要
身近過ぎる、僅かな票数で決まってしまうが故の問題点も実は非常に多いと思われます。
- 代議士を選ぶ視点が「知り合い」である点が強くなりすぎる
- 代議士本人の資質、ビジョン・哲学、政策が争点にほぼならない
- 代議士の一番の仕事が「顔を売る事」や「仲間と波風を立てないこと」が至上命題になる
個人的な意見:地方議会の弊害の闇は深い
どちらかというと、悪い部分の方が大きく地方の足を引っ張っている様に思えます。何故かと言うと、
【意思決定の原理原則】
- 客観的な事実に基づく
- 教科書等で体系化された知識に基づく
- ビジョン・哲学に基づく
を越えて「村社会的な力学」による意思決定がされやすい事を意味するからです。つまり、
【村社会の力学】
- 誰かと仲が良い
- 顔の効く有力者が黒を白と言った
- 義理人情
等で、政治という公共性のあるものが左右されてしまいやすい構造が存在してしまっているのです。
地方創生には村社会の力学からの脱却は急務
地方がデタラメな事がまかり通る事の本質は、意思決定の原理原則に則っていない事が多く、別の力学で出世や社会的地位に就けてしまっている事に起因することが多い様に感じています。一方比較して、都会の民間企業では、経営者の一挙手一投足に何故を5回繰り返したら、必ず帰ってきますし、きっと根底にあるビジョンや哲学にたどり着くでしょう。
皆さんの地域は議員をはじめ有力者の方は、これが出来ていますか?もし出来ていないのなら、その地域は必ず、デタラメな意思決定や戦略の欠如が発生します。目的がわからないのに予算や仕事はある、そんな状況は発生していませんか?そんな現場に若者や行政職員に押し付けていませんか?現場から「コレ何の為にやるんですか?」という声があれば、きっと村社会の弊害が起きているのではないでしょうか。
しかし、残念ながら、地方議会に関しては仕組み上、この弊害は起きるべくして起きる構造的な問題が存在します。故に、例えば一人複数票OKにする等、法改正のレベルの変化が必要に感じた次第でした。