飄々楽住

都会にはもう二度と戻りたくない、田舎ライフを楽しむ

俺が予算を使えば、無駄なく地方創生出来るという奢り

地方創生には無駄だらけと良く言われます。多分に漏れず、私の地域でも「コレ意味あるの?」とか「なんでこんなことやっているの?」と言うものは存在します。むしろ、そんなものがない地域の方が少ないと思っています。

何故無駄が生まれてしまうのか、その背景を簡単に纏めます。

本記事のまとめ

  • 事業のほぼ全ては誰も無駄と思って企画し、予算をとり、実施していない
  • 無駄の本質は「失敗を失敗として認識出来ないこと」
  • 無駄を指摘しても、新たな無駄が生まれる
  • 俺が予算を使えば、無駄なく地方創生出来るという奢りは消えない限り、無駄は消えない

誰も無駄なんてしたくない

無駄遣いすることを目的に企画をする人などこの世にいるでしょうか?絶対に居ませんよね。
そうなんです、地方創生ネタの殆どが善意であり、無邪気の産物です。
これらは、良くしたいという想いが空回りしたり、やり方が悪く結果として「無駄」になっただけで、そこに悪意があるケースは相当レアです。

無駄の本質は「失敗」と認められない事

失敗をした時に、素直に「失敗しました」と言えますか?

コレが実はとても難しいことです。人間です、失敗は本当に認めたくないです。地方創生の無駄も実は、この認められない事や、折角やったのに勿体無いと思う事が本質です。

物が捨てられない人の感覚と等価

  • 折角高いお金を出して買ったので捨てられない
  • オークションや中古で売るには時間が足りない
  • いろいろ好きで、アレやコレや手を出してしまう

そんな人の特徴は、物が捨てられない事が上げられます。実はこの感覚、事業では致命的になります。

  • まだ赤字だけど、折角時間をかけて事業化したんだから…
  • 建物や物品は買ってあるのだから…

そうやって、成果が出ていない事業が延々と続けられていくわけです。幸い、地方創生ネタの多くは公金なので、失敗を続けても誰も死にません。

無駄は切っても、また生まれてくる物

挑戦すれば殆どが失敗

失敗を減らすには、何もしない事が正解になります。しかし、それではそもそも地方創生の趣旨からすると最悪の事態です。
そもそも地方創生なんて物凄い難しい事に挑むわけで、そのほとんどは失敗するのが普通です。そもそも事業の失敗を責める事に何の意味もありません。

事業仕分け的な、目先の失敗を責める事こそ無駄

よくある、「アレは無駄」とか「コレは無駄」と言って切り捨てる行為、民主党政権時代の事業仕分けの様な行為はハッキリ言ってそれこそ人件費の無駄ですし、挑戦を増やすという文化としてもマイナスです。何故ならば、またタケノコの様に"善意"で"無邪気"な無駄が発生して来るためです。本質的な無駄の改善につながらないのです。

責めるべきは体質

各施策の無駄を指摘する事以上に、失敗だと見えているものを推進し続ける体質こそに問題があります。何故、そんなことが起きてしまっているのか、そこを解決し、正しい方向に導く事が大事になります。

大事なのは失敗を失敗と認められる基準を持てる文化を作ること

無駄を減らす4つのステップ

1.意識の徹底:無駄=失敗があることを前提に、いかに成功を増やし、失敗を引きずらないかという意識を徹底すること
2.基準の明確化:成功は何で失敗は何かという基準を企画段階で明確にし、基準が無い企画や予算はそもそも通さないこと
3.数値の可視化:その数値を厳密に可視化する=可視化にヒト・モノ・カネをかけること
4.徹底の実行:撤退基準に満たない、失敗した事業からは即手を引くこと
教科書的には、この4つのステップが大事になります。

この4ステップを実現するのは予想以上に大変

こんなことが簡単に出来れば世の中苦労はしていないというのが、まぁ実態です。
それでも、そこに食いついて成功に導く、ないしは行政を無視して成功するには、相当な何かが必要です。

俺が予算を使えば、無駄を改善出来、地域全体が良い方向に行くという奢り

ハッキリ言うと、行政の予算回りでは、このような奢りが至る所で散見します。私自身も、地域おこし協力隊としての活動を通じて、奢ってしまったなと反省することは多いです。今でもその奢りは気がつかない内に自分を蝕んでいるようにさえ思います。

企画の良し悪しは然程問題ではない

企画がどんなによくても、この4つの失敗と認めるステップを実現出来る文化がそもそも存在しない以上、一つのミスが全体を引っ張り、無駄になるリスクからは抜けられません。最初は成功しても、直ぐに次の失敗が無駄に繋がるというパターンも。何れにせよ、文化無しに成功し続けることは不可能です。故に、俺様の考える企画に予算を使えば物事が上手く回る、と言うのは無駄を無駄と認められる文化や仕組みが存在しなければ成立しないのです。

いつか行政に流される

小さな予算で、自分の身の回りで小さな事で成功しても、行政と一緒に大きな予算を使うとなると、急に話は変わります。何故ならば、基本的に行政や議会に失敗を失敗と認めるステップが存在していないためです。現場担当の一存では決められない複雑な事情が絡み合った別の力学で、予算が執行され、活用方法が制限され、仕事が振られるためです。その結果、失敗を失敗と認められない思惑に絡め取られ、本当に大事な事に貴方の貴重な時間と、予算を使う事ができなくなる=無駄が発生します。

行政の文化を変えるという途方もないミッション

それでも、もし貴方が行政と一緒に公益性の高い事を実現しようとすれば、行政や関連団体の意識を変え、文化を築いていくという途方もない十字架を背負う事になります。そんな十字架を背負って、意識改革・文化醸成という道のりを走破するのは一年やそこらで出来るものではありません。基本的に首長や関連団体のトップにでもならない限り、実現は不可能です。そこを目指して、地道に実績を詰み、信頼を得る事を目指しますか?その覚悟を持ちますか?

行政を無視したスモールスタート、スモールサクセスを繰り返すほうが楽

地域おこし協力隊の私が言うのもなんですが、実際は行政と少し距離をとるのがセオリーです。本当にやりたい事に特化し、自分の身の回りで無駄を無くす4つのSTEPを文化にしていく事で、身の回りの無駄を省き、小さな成功を繰り返す方が楽だと言われています。

私は?

未だにどう立ち回ったら良いのか、何を目指すのかモヤモヤする日々を過ごしています。ですが、スモールスタートにせよ、行政と一緒にやっていくにせよ、自分との奢りとの戦いなのだとは思います。