飄々楽住

都会にはもう二度と戻りたくない、田舎ライフを楽しむ

私の愛したApple Computerは死んだ!何故だッ!?

本記事のまとめ

  • 僕はAppleが好きだった
  • 最近のApple製品は、全くシンプルでなく、Coolでなく、革新的でない
  • 何故こうなってしまったかというと、「ジョブズが死んでしまったから」
  • 企業哲学を明確にし、社員一人ひとりが革新的になれる職場を作ることこそ、企業トップの仕事

僕はAppleが好きだった

20年来、生粋のAppleユーザー

かれこれ20年以上前、父親のお古のPerfoma(通称食パン)を貰って以降、Appleのマシンをメインに使ってきた身です。高校時代にはiMac DV(G3)、大学時代はPowerMacG5+Studio Display、それにiBook。大学院時代はMacbook Proを数台引き継ぎ、社会人なってからはMacBook Air(現行)を愛機として活用してきた。iPodiPhoneも割りと出て直ぐに買うくらいのAppleへの愛があった。因みに私がMacを使いだしたのは、丁度ジョブズAppleに復帰した頃であった。

高校時代に生ジョブズを見に行った位、Appleの基調講演にワクワクしたあの頃

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高校時代の2002年、最後のMac World Expo Tokyoにスティーブ・ジョブズの基調講演を聞きに、学校をサボって、鳥取のど田舎から東京まで行く程度にはAppleを愛していた。あの頃はジョブズの基調講演で発表される製品群にいつも心を踊らせ、粗い解像度のストリーミングを徹夜で見たりもした。当時ベージュ色でダサく、かっこ悪かったPCを格好良くしたり、OSの見た目を美しく変えたり、音楽を大量に持ち運ぶと言う文化を作ったり、iPhoneが発表されて、企業価値が一気に上がるずっと前から、ジョブズは僕の憧れ、ヒーローだった。

最近のApple製品は、全くシンプルでなく、Coolでなく、革新的でない

ジョブズが死んでから進化がなくなってしまった

さて、現行のMacの製品ラインナップ、iMac、MacPro、MacBook ProMacBook(Air)ですが、実はこれら、2008年、約10年前からほぼ進化していない。iMacに至っては、ディスプレイが大きくなった位で、見た目も全く変わっていない。その間、Microsoft/PC陣営は、Surfaceを筆頭にいわゆる2 in 1と言われるノートPCが出てきたり、Mac Book Airよりもっとコンパクトで質感の高いPCが出てきたり、気がつくとAppleは置いてきぼりを食らっている。

WWDC'17 20年目にしてiMacは死んだ

さて、WWDC’17で発表されたiMac Proという製品。
www.apple.com
コレでもかというばかりに、基本スペックが如何に優れているかが書き並べられている。あれ?iMacってそんな製品だっけ?「スペック最強」なんてDellのPCが言ってた事ではないか?そもそもProって…iMacって、全てをシンプルに一つに纏めて、誰でも分かりやすく気軽に使え、仕事からプライベートまで、コレ一つで出来る、消費者モデルじゃないの?そういう哲学の元に産まれた製品ではなかったのか?それがProって…。そして、何よりも、10年前から全く変わっていない基本デザインを黒くしてって…、ジョブズが「糞」呼ばわりした後期のPerformaシリーズの再来かッ!!!!

PerformaジョブズAppleから離れている間に出来た、廉価版、消費者モデルのMac。にも関わらず、シリーズ後期にはスペックに拘ったり、高価なTVチューナーをつけたり、拡張用のコネクタ満載にした結果、価格がどえらい事になってしまい、全く売れなかった残念な製品。何よりも、Performaのハイエンドモデルも、色を黒くしたものであった。

事ココに、iMacは死んでしまったと心のそこから痛感した。

Microsoftが出すSurface Studioの方が何倍もCool

10年間iMacが停滞している間に、Microsoftは色々叩かれながらも着実に進化した。その進化の極みが、Surface Studioではないだろうか。15年前に出たiMac G4を彷彿させるディスプレイを自由に動かせるヒンジをつけ、デスクトップPCにタッチパネルを付けると腕が疲れてしまうという抜本的な問題を解決。手やペンやダイヤルで物を動かしたり、より直感的に、よりプロユースを想定したユーザーインターフェースが見て取れる。

www.microsoft.com

ジョブズが居る時代、でかくてダサくてスペックだけを謳うMicrosoftwindowsマシンをAppleはあざ笑っていた。シンプルに、直感的に使え、ユーザーインターフェースが革新的なのがMacであった。それが今はどうだろう。革新の象徴のiMacがスペックだけを謳い、ダサい象徴であったMicrosoftユーザーインターフェースの革新性を売りにしている。

Touch barやApple Watchという「うーん、要らねえ」という何か

iMac Pro以外にも私がAppleを見限った物がいくつかある。その一つが「Toch bar」。最新のMacBook Proの一部高級モデルにつく、ファンクションキーの代わりになる細長いタッチパネルである。
support.apple.com

しかし、コレ、一体何のためにあるのか?ただでさえ少ないMacユーザーの特定の機種だけにしか対応していない物に、一体誰が、どんなアプリを開発するというのだ。私が開発者なら、touch barの利活用を考え、開発する時間があるなら、windows版も含めた全てのアプリが使いやすくなる機能開発を優先するだろう。そもそも、touch barは「簡易ランチャー」程度しか利用イメージが無い。

そして、もう一つの愚の骨頂がApple Watch。先行していたAndroid Gear系がコケにコケた状態で、後追い参戦も何も革新的な物は無かった。スマートウォッチで何かするなら、ポケットからスマホを取り出した方が余程使い勝手が良く、「一体何に使うのか」という代物であった。2日充電しないとバッテリーが切れる為、時計としても「使えない」代物である。案の定、売上は、絶望的な様だ。

何故こんな商品をAppleは連発しているのだろうか…

Appleがこんなにダメになってしまったのは「ジョブズが死んでしまったから」

こんなにAppleがダメな会社になってしまったのは、ジョブズという哲学が消えてしまったからに思える。Appleの基本的な哲学は、スティーブ・ジョブズそのものであったと言われる。製品の最終的な判断はジョブズが行い、何か開発するかには目を光らせ、事細かなことにまでも口を出す一方、何故この製品を作るのか、この製品を作ることで世の中はどう変わるのか、この仕事を達成することが如何に素晴らしいかを強く、熱く語る人物だったそうだ。色々人格に問題があったり、癖の強い人だったそうだが、トップとして「強烈なビジョン」、「熱い思い」を持っており、それを明確に分かりやすく人に伝えられる経営者であった。その人が居なくなった結果、今のアップルは「何が素晴らしいか」分からず、「誰が素晴らしいと判断してくれるのか」も分からず、ひたすら迷走しているように思える。

企業哲学を明確にし、社員一人ひとりが革新的になれる職場を作ることこそ、企業トップの仕事

そんなAppleを見ていて思うことは、やはり企業のトップというのは非常に大事だということだ。幾ら社員が頑張り、社員個人がビジョンを語っった所で、会社の文化は作れない、哲学は周りに伝播しないし、どこからともなく出てきた仕事に流されてしまう。未来のあるべき姿をとことん考え抜き、人にその強い情熱を伝え、共感出来る人を雇い、ビジョンを実現するための仕事に経営資源を集中させる、その権限を有している人物が将に企業のトップなのである。

どんなに良い会社でも、トップにビジョンが無ければ製品は途端に魅力を無くしてしまう。優秀なエンジニア、優秀なマーケッター、優秀なディレクター等などが揃っていたとしても、哲学やビジョンが曖昧な会社は未来を作れない。それが、私の愛したApple Computerで現実に起きたのだな、そう痛感する今日このごろ。

田舎の地方議会の恐怖

本記事のまとめ

  • 大山町の地方議会の最低当選は約350票
  • 隣の伯耆町では無投票で議員が決定
  • 良い点もあるが弊害の方が大きい
  • 意思決定の原理原則から外れて、村社会の力学が支配してしまう
  • 地方創生には村社会の力学からの脱却は急務

移住して初めての選挙

大山町に引っ越して初めての選挙。これまで米子→豊中→茨木→明石→横浜とわりと都市部の選挙を経験して来た身からすると、田舎の選挙って新鮮で、とても不思議で、怖いなーと思いました。その背景を纏めます。

約300人で決まる世界

この数字は、首長ではなく議会選挙の話。大山町で予想される有効投票数は約1.1万。うち19人が立候補、単純に割ると一人あたり550票。傾斜が存在するので、実際の最下位の大杖議員の347票、次点が圓岡元議員の334票でした。

無投票のケースも

隣の伯耆町ですが、ここは町議会は無投票だったそうです。つまり、手を上げたら誰でも議会に立ててしまうという状態です。なんだかんだで大山町や伯耆町は約100億円の予算があります。その会社の取締役会や株主総会の議決権を「俺やります」と言ったら持ててしまう、そんな状況です。

良い点:非常に政治が近い

議会と住民の距離が近く、自分や周りの人の一票が大きく左右する選挙であることがいえます。地方自治の観点では、

  • 自分たちの代表を選ぶという感覚が非常に強い=代議制民主主義が身近
  • 身近な人が立候補する為、自分の声を町政に届けやすい

というメリットは間違いなく存在します。

悪い点:政治家としての本質ではなく「身近な知り合いである」事が重要

身近過ぎる、僅かな票数で決まってしまうが故の問題点も実は非常に多いと思われます。

  • 代議士を選ぶ視点が「知り合い」である点が強くなりすぎる
  • 代議士本人の資質、ビジョン・哲学、政策が争点にほぼならない
  • 代議士の一番の仕事が「顔を売る事」や「仲間と波風を立てないこと」が至上命題になる

個人的な意見:地方議会の弊害の闇は深い

どちらかというと、悪い部分の方が大きく地方の足を引っ張っている様に思えます。何故かと言うと、
【意思決定の原理原則】

  • 客観的な事実に基づく
  • 教科書等で体系化された知識に基づく
  • ビジョン・哲学に基づく

を越えて「村社会的な力学」による意思決定がされやすい事を意味するからです。つまり、
【村社会の力学】

  • 誰かと仲が良い
  • 顔の効く有力者が黒を白と言った
  • 義理人情

等で、政治という公共性のあるものが左右されてしまいやすい構造が存在してしまっているのです。

地方創生には村社会の力学からの脱却は急務

地方がデタラメな事がまかり通る事の本質は、意思決定の原理原則に則っていない事が多く、別の力学で出世や社会的地位に就けてしまっている事に起因することが多い様に感じています。一方比較して、都会の民間企業では、経営者の一挙手一投足に何故を5回繰り返したら、必ず帰ってきますし、きっと根底にあるビジョンや哲学にたどり着くでしょう。

皆さんの地域は議員をはじめ有力者の方は、これが出来ていますか?もし出来ていないのなら、その地域は必ず、デタラメな意思決定や戦略の欠如が発生します。目的がわからないのに予算や仕事はある、そんな状況は発生していませんか?そんな現場に若者や行政職員に押し付けていませんか?現場から「コレ何の為にやるんですか?」という声があれば、きっと村社会の弊害が起きているのではないでしょうか。

しかし、残念ながら、地方議会に関しては仕組み上、この弊害は起きるべくして起きる構造的な問題が存在します。故に、例えば一人複数票OKにする等、法改正のレベルの変化が必要に感じた次第でした。

俺が予算を使えば、無駄なく地方創生出来るという奢り

地方創生には無駄だらけと良く言われます。多分に漏れず、私の地域でも「コレ意味あるの?」とか「なんでこんなことやっているの?」と言うものは存在します。むしろ、そんなものがない地域の方が少ないと思っています。

何故無駄が生まれてしまうのか、その背景を簡単に纏めます。

本記事のまとめ

  • 事業のほぼ全ては誰も無駄と思って企画し、予算をとり、実施していない
  • 無駄の本質は「失敗を失敗として認識出来ないこと」
  • 無駄を指摘しても、新たな無駄が生まれる
  • 俺が予算を使えば、無駄なく地方創生出来るという奢りは消えない限り、無駄は消えない

誰も無駄なんてしたくない

無駄遣いすることを目的に企画をする人などこの世にいるでしょうか?絶対に居ませんよね。
そうなんです、地方創生ネタの殆どが善意であり、無邪気の産物です。
これらは、良くしたいという想いが空回りしたり、やり方が悪く結果として「無駄」になっただけで、そこに悪意があるケースは相当レアです。

無駄の本質は「失敗」と認められない事

失敗をした時に、素直に「失敗しました」と言えますか?

コレが実はとても難しいことです。人間です、失敗は本当に認めたくないです。地方創生の無駄も実は、この認められない事や、折角やったのに勿体無いと思う事が本質です。

物が捨てられない人の感覚と等価

  • 折角高いお金を出して買ったのでここ5年くらい使っていなくても保管してある
  • オークションや中古で売るには時間が足りない
  • いろいろ好きで、アレやコレや手を出してしまう

そんな人の特徴は、物が捨てられない事が上げられます。実はこの感覚、事業では致命的になります。

  • まだ赤字だけど、折角時間をかけて事業化したんだから…
  • 建物や物品は買ってあるのだから…

そうやって、成果が出ていない事業が延々と続けられていくわけです。幸い、地方創生ネタの多くは公金なので、失敗を続けても誰も死にません。

無駄は切っても、また生まれてくる物

挑戦すれば殆どが失敗

失敗を減らすには、何もしない事が正解になります。しかし、それではそもそも地方創生の趣旨からすると最悪の事態です。
そもそも地方創生なんて物凄い難しい事に挑むわけで、そのほとんどは失敗するのが普通です。そもそも事業の失敗を責める事に何の意味もありません。

事業仕分け的な、目先の失敗を責める事こそ無駄

よくある、「アレは無駄」とか「コレは無駄」と言って切り捨てる行為、民主党政権時代の事業仕分けの様な行為はハッキリ言ってそれこそ人件費の無駄ですし、挑戦を増やすという文化としてもマイナスです。何故ならば、またタケノコの様に"善意"で"無邪気"な無駄が発生して来るためです。本質的な無駄の改善につながらないのです。

責めるべきは体質

各施策の無駄を指摘する事以上に、失敗だと見えているものを推進し続ける体質こそに問題があります。何故、そんなことが起きてしまっているのか、そこを解決し、正しい方向に導く事が大事になります。

大事なのは失敗を失敗と認められる基準を持てる文化を作ること

無駄を減らす4つのステップ

1.意識の徹底:無駄=失敗があることを前提に、いかに成功を増やし、失敗を引きずらないかという意識を徹底すること
2.基準の明確化:成功は何で失敗は何かという基準を企画段階で明確にし、基準が無い企画や予算はそもそも通さないこと
3.数値の可視化:その数値を厳密に可視化する=可視化にヒト・モノ・カネをかけること
4.徹底の実行:撤退基準に満たない、失敗した事業からは即手を引くこと
教科書的には、この4つのステップが大事になります。

この4ステップを実現するのは予想以上に大変

こんなことが簡単に出来れば世の中苦労はしていないというのが、まぁ実態です。
それでも、そこに食いついて成功に導く、ないしは行政を無視して成功するには、相当な何かが必要です。

俺が予算を使えば、無駄を改善出来、地域全体が良い方向に行くという奢り

ハッキリ言うと、行政の予算回りでは、このような奢りが至る所で散見します。私自身も、地域おこし協力隊としての活動を通じて、奢ってしまったなと反省することは多いです。今でもその奢りは気がつかない内に自分を蝕んでいるようにさえ思います。

企画の良し悪しは然程問題ではない

企画がどんなによくても、この4つの失敗と認めるステップを実現出来る文化がそもそも存在しない以上、一つのミスが全体を引っ張り、無駄になるリスクからは抜けられません。だからこそ、無駄を無駄と認められる文化、仕組み、組織作りこそが、第一義的に重要です。それこそが、俺様の考える企画に予算を使えば物事が上手く回る、と言う傲慢を抑え込み、より成功しているものに経営資源を集中させ、地方を大きくします。

いつか行政に流される

小さな予算で、自分の身の回りで小さな事で成功しても、行政と一緒に大きな予算を使うとなると、急に話は変わります。何故ならば、基本的に行政や議会に失敗を失敗と認めるステップが存在していないためです。現場担当の一存では決められない複雑な事情が絡み合った別の力学で、予算が執行され、活用方法が制限され、仕事が振られるためです。その結果、失敗を失敗と認められない思惑に絡め取られ、本当に大事な事に貴方の貴重な時間と、予算を使う事ができなくなる=無駄が発生します。

行政の文化を変えるという途方もないミッション

それでも、もし貴方が行政と一緒に公益性の高い事を実現しようとすれば、行政や関連団体の意識を変え、文化を築いていくという途方もない十字架を背負う事になります。そんな十字架を背負って、意識改革・文化醸成という道のりを走破するのは一年やそこらで出来るものではありません。基本的に首長や関連団体のトップにでもならない限り、実現は不可能です。そこを目指して、地道に実績を詰み、信頼を得る事を目指しますか?その覚悟を持ちますか?

行政を無視したスモールスタート、スモールサクセスを繰り返すほうが楽

地域おこし協力隊の私が言うのもなんですが、実際は行政と少し距離をとるのがセオリーです。本当にやりたい事に特化し、自分の身の回りで無駄を無くす4つのSTEPを文化にしていく事で、身の回りの無駄を省き、小さな成功を繰り返す方が楽だと言われています。

私は?

未だにどう立ち回ったら良いのか、何を目指すのかモヤモヤする日々を過ごしています。ですが、スモールスタートにせよ、行政と一緒にやっていくにせよ、自分との奢りとの戦いなのだとは思います。

地方創生とホンダF1から見る、若者に業を背負わす構造

地域おこし協力隊の私が言うと、かなり毒のあるタイトルですが、先に言っておきますが、私のいる大山町はかなり恵まれた環境にあると思っています。

今日このタイトルで記事を書いたかというと2017年のF1が開幕したからです。一見何も関係ないように見えて、実は繋がって見えた地方創生とF1。その思考の一端を纏めてみました。

本記事のまとめ

  • F1でホンダが駄目なのは、経営陣の真っ当な判断が出来なかった為
  • 地域起こしも上手く行かないのは、経営という視点が抜け落ちている事が多い為
  • 経営という視点が抜け落ちると、死地に現場の若者を追い込むことになる

F1のまとめ

F1ホンダの悲しい現実の簡単な説明

ホンダは2008年にF1から撤退、2012年にF1復帰を表明しました。準備期間は3年、2015年から名門チーム「マクラーレン」にエンジンを供給を開始しました。しかし、2015年は散々な結果。余りにも遅いエンジンで、鈴鹿サーキットで私の目の前で中堅チーム2台にごぼう抜きにされたのを覚えています。それから2年が経った今年の開幕戦、未だに低迷しており「ホンダのエンジンでは可哀想」と揶揄されている状態なのです。

www.as-web.jp

F1ホンダは散々なのは経営が出来ていない為

「レースは走る実験室」「上司に言われる前に動く」「若者の奇抜な発想を大事にする」というホンダ・スピリッツを元に、若いエンジニア達の育成の場としてF1エンジンの開発が行われました。エンジンの開発期間は2012年に参戦を表明してから僅か3年、しかも若手の育成を主眼にした体制を取ったことに、経営陣には何が何でも勝つという想いが全く無かった事が明確になっています。

一方で常勝チームのメルセデスは、ホンダが一時撤退する前、エンジンのレギュレーション(規約)が決まる前の2007年から開発を開始していました。どういうことかというと、メルセデスは経営陣が「F1をやり続け、圧勝する」という事に計画性をもってヒト・モノ・カネを集中投下し、F1の運営・レギュレーションにまで口を出していたのです。自分たちが勝つためには、F1のルールまで変える。辞めたり、再開したり、若者の育成の為、など場当たり的なホンダとは、全くもって経営陣の"やる気"が違ったのです。

f1-gate.com

ホンダF1の現場の若者達の辛い立場

ホンダのF1エンジニアに抜擢される人材なんて、理系の中でも相当優秀な人だと思われます。それでもなお、ホンダの若者が如何に開発に頑張っても、10年も前から組織全体でヒト・モノ・カネをかけて開発している人たちには中々勝てない。経営陣の力の差がメルセデスとホンダの間の大きな差に思われます。

更に、そんな中で「1年で世界一のエンジンを作ってみせろ」と無茶な要望。その要望に無理を重ねてチャレンジして失敗しているのが今です。その結果、世間の人々に「ホンダのエンジニア達に技術力が無い」と言われてしまいます。やっている若いエンジニアからしてみたら、飛ぶハードルは高く、そのハードルを越えられなければ「あいつらは無能だ」と言われる非常に辛いポジション。経営陣はそんな死地に若者を追いやってしまっているのです。そういう現場を与えてしまっている経営陣こそが、ホンダの失敗の根底にあります。

地方創生の若者に業を背負わす構造

よそ者、若者、馬鹿者以上に、経営が大事

話は変わって本題、地方創生の話。地方では「よそ者、若者、馬鹿者」を呼だ挙句、結局は死地に追いやるケースが多いように思えます。
大事と言われる「よそ者、若者、馬鹿者」以上に、地元の人(特に権限を持つ人)の意識や経営センスが大事です。
詳しくは、以下の記事がよくまとまっています。

www.projectdesign.jp

これまでの事例取材を通じて、編集部内で意見が一致したのは、従来、地域活性化の成功法則として言われてきた「よそ者、若者、ばか者」論は、すでに当てはまらないケースが続出しているということだ。

成功している、あるいはその兆しがあるという事例において、その中心人物へのインタビューを行うと、プロジェクトに「若者」や「よそ者」が入っていない、「ばか者」と呼ばれる人も不在であるというケースがよくある。

よそ者の若者で無鉄砲な人間であれば地域を良く導いてくれると言うのは幻想で、経営こそがその本質だと言われています。

当たり前ですが、地域おこしも「まずやってみる」、「成功したものは横展開していく」というゲリラ戦から、全員で取り組む組織戦に進化しなくては成長しません。そのために必要なのは「経営」であり、さらにその経営を「革新」していくこと(イノベーション)です。地域おこしは「経営力」を高めていく必要があるのです。

地方創生でも、無策なプロジェクトで若者が辛いポジションに

よくある、地方創生の失敗例は次のような物が上げられます。
枠組みの形式だけのどこかの成功事例を焼き増ししたプロジェクトで補助金を取ってきて、地域おこし協力隊を始めとした「若者の豊かな発想力でこれを成功させてくれ」という物。しかし、実際は、企画や設計といった花形の部分は既に補助金を取ってくる段階で決まっており、若者には一番大変な「調整」や「営業」といった大変な所を押し付ける。そして、若者が「これ、企画や設計に無理がありませんか?」「P/Lすらない全くデタラメな計画じゃないかっ」と思っても、「もう決まっていることだと」後の祭り。プロジェクトをまともに推進出来ないのは、「あの若者に実行力が無いからだ」と言われる始末。

toyokeizai.net

よく「地方活性化のために、若者のアイデアと行動力に期待したい」と言いながら、実際は自分たちがやりたくないことを押し付け、若者に支払う報酬は自分たちよりも低く設定するのに何の躊躇もなかったりします。

さらに、せっかく手を挙げてきた若者たちに「期待ほどではなかった」などと、「上から目線」で批判的な評価を平気で下したりします。そんなことをしているうちに、本当に誰も来なくなります。

色々聴く話から、経営者が真っ当な判断が出来ず現場に負を押し付けているホンダF1と似たような構造は、地元の有力者が地域おこし協力隊を始めとした若者に負を押し付けるという形で、地方創生でも起きているなと思う今日このごろでした。

それでもなお、地域起こしは面白い

課題が見えている事は、解決の為の道筋が見えている事とも同義です。経営計画を明確化する、人を育てる、仕組み化する、そういうった所を地道にやっていく事が第一義に思えます。経営計画を浸透し、一緒に仕組み化してくれる人と実行していくのが地域起こしの本質に思っています。そういうチャレンジが出来るのも「地域起こし協力隊」の魅力の1つに思っています。

しかし、いきなりよそ者が入ってきて、地域の経営をさせて下さいというのは、本当にハードルが高い事です。それを実現するために、1つづつ実績を詰み、地道に小さな成功を少しづつ重ねていくことが大事だと思っています。

地域おこし協力隊に大学生が応募しては駄目な3つの理由

本記事のまとめ

地域おこし協力隊には以下の3つの理由から学生が応募してはならない

  1. 人事サポートや、指導をしてくれる人はいない
  2. 行政も住民も「目的」を決め「戦略」を立ててくれるわけではない
  3. 大学では学べない汎用的なビジネススキルが求められる

私の前任者の地域おこし協力隊員、佐々木正志さん(通称まーしー)が面白い記事を書いていたので乗っかってみました。
maashiitaiyo.blogspot.jp

「地域おこし協力隊になって地域を変える!」その気持、ちょっと待った!

人口減少、少子高齢化、過疎化、耕作放棄地、などなど、地方には解決しなければならない課題が沢山。そんな社会課題を解決するために人生を使いたい!
大いなる自然、田園風景、のどかな時間、地域のつながり、伝統工芸、特産品、などなど、これらを活かしたビジネスをしたい!

そんな貴方にぴったりな、地域おこし協力隊という制度があります。大体の相場で、年収200万円+活動経費200万円、年間合計400万円を使って、貴方がチャレンジしたい地域おこしをさせてもらえます。任期は最大で3年です。

地域おこし協力隊とは
○制度概要:都市地域から過疎地域等の条件不利地域に住⺠票を移動し、生活の拠点を移した者を、地方公共団体が「地域おこし協力隊員」として委嘱。隊員は、一定期間、地域に居住して、地域ブランドや地場産品の開発・販売・PR等の地域おこしの支援や、 農林水産業への従事、住⺠の生活支援などの「地域協力活動」を行いながら、その地域への定住・定着を図る取組。

一見とても良い制度に思えますが、ハッキリ言って普通に生きていく分や、キャリアの泊を付け市場価値を高めるには、会社で働いている方が余程良いです。特に大学生が社会人経験なしにこの制度を活用すると、かなり苦労します。前任者のまーしーの記事ではこんなことを言っています。

冒頭で、学生で地域起こし協力隊になることはオススメしないと言いましたが…
その理由は明白で、地域起こし協力隊には、行政にできないことが求められるからです。
(中略)
しかし学生を卒業したばかりの人にとっては、出来ることにも限界があります。
僕自身も、二年間の社会人経験がありましたが、それでもスキルのなさを痛感する機会が非常に多かったです。

ちなみに民間的発想を請おうとしても、行政には、民間的発想で指導できる体勢も整っていません。
行政の仕事は、予算を取って分配して様々なインフラを整えることです。
生み出すことが仕事ではないのです。その部分を地域起こし協力隊に求めているのです。

まーしー曰く、オススメしない理由は大別すると3つ

  1. 指導してくれる体制がない
  2. 行政に出来ない社会的価値を生み出すには、民間的発想が必要
  3. 求められるスキルは社会人経験を通さないと身につかない

それらを、私なりの目線で少し深掘りしてみました。

1.地域おこし協力隊には人事サポートや、指導をしてくれる人は基本的にいない

社会人として一人前になるには3年かかると言われている

世間一般に、1年目は仕事を覚え基礎力を付け、2年目は仕事が出来るようになり、3年目で主体的に働けるようになり、やっと一人前になると言われます。地域おこし協力隊は3年で、「卒業までに一人前になってそこから人生が始まる!」と思うかもしれませんが、実はそう甘くはないのです。なぜならば、会社勤めと地域おこし協力隊では、貴方に対する周りの関心が全く違うのです。

会社に就職すると、誰かが貴方をサポートしてくれる

普通に大学生活を送った人ならば、卒業したての4月は多くの人が社会人1年目、右も左も分からない状況です。まっとうな一般企業に就職すると、貴方には必ず指導してくれる誰かが現れます。何故ならば、貴方が仕事を効率よくこなしてくれると会社は儲かり、貴方がいつまでも仕事が出来ないとお給料が無駄になるからです。また、貴方を指導し一人前に育てることで貴方の上司は会社から評価され、給与が上がります。会社は、必要に迫られて、貴方に仕事のいろはを教えるのです。だから、社会人の基礎力、スケジューリング、報連相、敬語、失礼のない対応、などの基礎的なビジネススキルが自然と身についていくのです。

地域おこし協力隊は、誰からもサポートを受けられない

一方、地域おこし協力隊はどうでしょう?貴方の給与の原資は税金です。貴方が仕事が出来ず右往左往していても、言うほど誰も困りません。貴方に仕事を指導することで給与が上がる上司などいません。貴方がパフォーマンスを上げてくれたら「ラッキー」、上げなかったら「アイツは駄目だね」で終わりです。就農での協力隊活動など例外を除けば、社会人一年目で基礎力すらない貴方を、お金も貰えないのにわざわざ指導してくれる人はまず居ません

地域の人たちは意外と厳しい

しかし、そんな状況下にもかかわらず、「貴方は税金を使っているのだから、地域を活性化してくれるんだよね?」と地域からは期待の目を向けられます。さらに、その期待に応えられなかったり、初歩的な失敗(報連相不足、時間を守らない等)をして問題を起してしまった時、貴方は地域から信頼を失い、相手にされなくなるリスクを伴います。そこに、社会人1年目だからという寛容な目線はありません。スケジューリングや報連相のノウハウも知らず、誰も指導してくれる人が居ない中で、その期待に応えていく自信はありますか?

2.行政も住民も「目的」を決め「戦略」を立ててくれるわけではない

一般的に、目的や戦略を立てるのは課長・部長以上の仕事で、ある程度のキャリアが必要

どう会社を成長させていくのか、事業の目的を定め、経営計画や戦略を立て、それを実施出来るよう社内を取りまとめる。一般的にマネジメントと言われる仕事ですが、これはやってみるととても難しい事です。企業でもある程度働きぶりを認められた、課長や部長といった人たちがこれに当たります。社会人1年目には結構荷が重い仕事です。

会社では歯車になれば最低限の社会的価値は生み出せる

まっとうな一般企業の場合、儲ける仕組みが出来上がっている場合が多いです。社会人1年目で右も左も分からない貴方でも、会社が用意してくれた目的や戦略に沿って、言われた事を徹底的にこなし、仕事を覚えてさえいけば、最低限貴方の食い扶持分くらいは稼げます。また、明確に給与を上げる方法も示されている場合も多く、何をしなくてはいけないかもハッキリしています。大なり小なり、仕組み化され、マネジメントされた文化があります。お金を稼ぎながら、スキルを身に着けていくにはとても良い場でもあります。

地域おこし協力隊は歯車になると死ぬ

一方、地域おこし協力隊はどうでしょう?社会人1年目、右も左も分からない状況で、まずは仕事を覚えようと、貴方は目の前の課題にがむしゃらに取り組みます。行政が「観光イベントをやるから手伝って」と言えば一生懸命準備を手伝い、地域の困り事があれば車を出して助けに行きます。やっている時は「地域おこしをやっている」というちょっとした充実感は得られます。ただ、ふとした時に気づきます、「コレで将来食っていけるのだろうか?」「俺の人生これで良いのか?」と。よくあるパターンですが、ただのお手伝いは貴方でなくても良く、地元の人達でも出来る事が殆どなのです。そのような仕事は、そこまで求められていない=社会的価値が低い=自分の食い扶持にすらなりません。そう言う物に振り回されると、仕事は一向に評価されず、任期終了間際に焦る事になります。

地域おこし協力隊には民間的なマネジメントスキルが求められる

故に、貴方は最低限、自分の人生をマネジメントしないといけません。任期が終わった後も引き続き仕事として地域おこし活動を続けるには、貴方でしか出来ない本当に大事な事を突き詰め、仕事の目的を明確にし、「この仕事なら食っていける」という収入を得たり、ただでさえ金銭的な余裕の無い地域の職場で「アイツなら身銭を切ってでも雇いたい」と思われる様に戦略的に仕事をする必要があります。つまり、一般企業でいう課長級以上の仕事です。しかし、それはとても難しい事で、社会人経験がない貴方には少々荷が重いかもしれません。就職して、まずは会社というレールに沿って働いた方が、身につくもの、見える物も多いと思いませんか?それから地方に来ても遅くありません。貴方はまだ若いです。

3.地域おこし協力隊では、大学では学べない汎用的なビジネススキルが求められる

都会の企業は分業化・専門化が進んでいる

都会の企業の多くは分業化されています。例えば、「デザインがとても得意です」という人は、きっと都会では上手くやっていけると思います。そこそこの企業になると、貴方のそのスキルを活かしてくれる企画担当やディレクター、売ってきてくれる営業が居る場合が多いからです。少々ずぼらでスケジューリングが出鱈目だったり、人見知りをしてしまう性格で人前に出るのが苦手でも、貴方の強みを活かして仕事をしていく事が出来ます。

地域おこし協力隊では、汎用的なビジネススキルが無いとキツイ

一方地方ではどうでしょう?仮に、貴方がそのデザイン能力を活かして、地域おこし協力隊となり、地域をデザインの力で変えたいと思ったとします。しかし、特に行政やその外郭団体と一緒に仕事をするとなると、ディレクションしたり営業してくれる専門人材は基本的にはいません。その全てとは言わないですが、多くを自分で行う必要があります。自分の力で意味のある企画をし、行政に掛け合って予算を取ってきて、何処までを自分でやるのかを決め、出来ない所を外注先にお願いし、報酬含め様々な調整をして、やっと一つの物が完成します。さて、貴方は社会人1年目、大学でデザインは極めたとは言え、企画の経験も乏しければ、仕事を外注したこともなく、調整とは何かも分からない中で、品質の高い成果物で地方を変える事は出来るのでしょうか。そもそも、何をしたら良いのかすら思いが至らず、ただただ無駄な日々を過ごしてしまうかもしれません。様々な物が分業化されておらず、そもそも会社組織の体をなしていないような地方に、地域おこし協力隊の貴方は放り出されます。故に何事にも対処出来る、汎用的なビジネススキルが求められるのです。ところで大学で勉強していれば、そんな汎用的なビジネススキル身につくのでしょうか?

それでも地域おこしをしたい貴方へ

今まで、さんざん「大学生は地域おこし協力隊になるな!」と言ってきましたが、本心では、大学生でもどんどんチャレンジしてみれば良いと思っています。来てみて失敗してみれば良いのです。というよりも、失敗しないチャレンジなんて殆どありません。私も、地域おこし協力隊になって、失敗を何度も経験しています。ですが、その挑戦が人生の糧となり、成功へと繋がるのです。仮にそれが、貴方が最初に赴任した地域ではなくとも、きっとそこでの経験は生きてくる事でしょう。大学生ならまだ若い、やり直しは効きます。「地方を何とかしたい」「地方で憧れの暮らしをしたい」そんな熱い思いを持ち続ける事が大事です。熱い思いがあれば、スキルは必ず自分で勉強することでしょう。これだと思ったら、突っ走ってみたら良いと思います。

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