飄々楽住

都会にはもう二度と戻りたくない、田舎ライフを楽しむ

地方創生の切り札はビッグデータというアレは何だったのか

ビッグデータという言葉が2012年頃より流行りだし、今に至ります。地方創生でも、切り札はビッグデータだと、どこの広告代理店やら大企業のソレっぽいCEOが入れ知恵したのかしらないですが、言われています。RESASというビッグデータ解析のツールも石破地方創生大臣の時代に作られました。

さて、元データ分析をしてきた身として、既存の地方創生に於けるビッグデータ活用は、殆ど失敗だと思っています。
その根拠を、私なりの目線で纏めてみました。

本記事のまとめ

  • 地方でデータ活用には3つの壁が存在する
  1. 目的の壁
  2. データ構造の壁
  3. 意思決定者の壁
  • 地道な地域マネジメント活動の先にしか、データでの地方創生は起こり得ない

目的の壁

そもそも、ビッグデータ界隈でも昨今いわれていますが、データというのは貯めれば良いわけではないのです。目的を持ってデータを収集しないと、基本的には意味のある物は出てきません。また、データを眺めていたら何か目的や凄い何かが生まれるわけでもありません。にも関わらず、データを弄くれば、何か疲弊する地域が復活する、壮大なアイデアが出て来るというような言説が結構あるのは甚だ疑問です。

http://analysis-intelligence.net/?no=97analysis-intelligence.net

データ分析は意思決定のために行われる。その意思決定は何等かの目的があるからこそである。目的が無ければどんなに数字をいじくりまわしたところで「それで?」で終わるだけになる。それは時間の無駄としか表現のしようがない。

言うなれば、本来は目的がありデータを使って意思決定がされるべき状況で、データを使って目的を捜せという本末転倒な事が起きてしまっているのが現状です。

これは過去の記事でさんざん記載していることですが、地方創生は目的が曖昧なまま、個人の思い付きや、何となく良さそうという理由で決まってしまう事が多いです。

michihito-t.hatenablog.com

目的、何のためにやるのか、何を目指していくのか、そういう所を明確にしないと、データなんて殆ど意味を成しません。故に、どんなにRESASをこねくり回しても、何か凄い事が地域で起こるわけないのです。

なお、似たような事は実は、都会の大企業、AIとかIoTの分野でも起きていたりします。

jp.techcrunch.com

目的を定める経営者が無理解だと、ビッグデータ限らず、最新技術なんて屁の役にも立たないのです。

データ構造の壁

さて、仮に目的が明確で扱うデータが明確になったとしましょう。しかし、それでいきなりRESASを使ってバンバン凄いPDCAが回せるかというとそういうわけではありません。目的が明確になり、本当に欲しいデータも明確になればなるほど、RESASなんかには欲しいデータが無い、本当に欲しいデータが簡単には取れないという現実が見てきます。

この場合、大企業だと、優秀なデータインフラエンジニア等がインフラを構築して、綺麗にデータを蓄積していきます。しかし、こと問題は地方。大事なデータの多くは、中小企業の帳簿の中に、実に様々な形で存在します。データの構造もまちまち、あっちでは分かることが、こっちでは分からない、本当に欲しいデータが欠損しているなんてことはよくあります。また、デジタル化されていれば良い方で、多くが紙ベースで再利用するのが非常に困難な形で保管されていたりします。

大事なデータは、地域と一緒になって作っていかなければなりません。そんなデータ不毛地帯に、データの専門家、だいたいがパソコンと教科書とにらめっこして生きてきた人が来ても、その能力の1%も発揮できない現実が待っています。本当にデータを活用するなら、地域の人たちと膝を突き合わせて、データを下さい、私もデータ化お手伝いしますと一軒一軒まわらないと駄目です。しかし、パソコンとにらめっこしてきた人は、往々にして地域と打ち解けてるスキルも乏しいケースが多かったりします。そこからスタートとなると、今までにやったことのない、と言うか人生で避けてきただろう営業ドサ回りという仕事が待っています。

データも扱えて、営業スキルもあって、そんな人がいたら、自分もそんな人になれたら、苦労はしないですよね…本当に。

www.mlit.go.jp

(4)日本版DMOの組織
◎ 以下の[1]~[3]の全てに該当すること又は該当する予定であること
[1]法人格を取得していること
[2]意思決定の仕組みが構築されていること
※日本版DMOの業績について対外的に最終的な責任を負う者が明確化されていること
[3]専門人材が存在すること
※データ収集・分析等の専門人材(CMO:チーフ・マーケティング・オフィサー等)がDMO専従で最低一名存在していること又は確保する予定であること

地方版DMOには、データの専門家としてCMOを置くことが明文化されていますが…その人が活躍できる環境を地域の側が用意する、もしくは、その人に権限を与えてデータを活用できる組織づくりをさせてあげない限り、多分宝の持ち腐れになる可能性が高いです。

意思決定者の壁

改めて、データ分析は意思決定の為の手段でしかありません。その手段を大事にするかどうかは、意思決定する側に委ねられる傾向にあります。仮にデータで不都合な事実が分かったとしても、また他にもっと良い意思決定はコチラですと提言できたとして、果たして行政や、地域の経営者がその意見で正しい判断をしてくれるでしょうか。

「予算申請の時点でもう決まったこと」「地域のルールでコレは辞められない」「そんなことより、コッチを何とかして欲しい」「俺の言ったことをヤレ」。無理が通れば道理が引っ込むではないですが、行政や地域の有力者の一声といった様々な力学が働いていて、一概に綺麗に意思決定してもらえない現実(それが故に疲弊)が待っているでしょう。そういう人たちを懇切丁寧に説得し、予算申請の時点からデータ活用を入れ込み、撤退基準を明確にしたり、真っ当な判断をしてもらうというのは、相当骨の折れる事です。ともすれば権力闘争に発展し、選挙も絡んだりすると、地域を二分し、感情的なシコリを残しかねません。

地道な地域マネジメント活動の先にしか、データでの地方創生は起こり得ない

目的意識、データの構造、意思決定の所在、そういう物が複雑に絡み合っているのが地方です。それが故に、いきなりデータを活用して何か凄い組織や体制が築けて、一気に地域がよくなる、地域経済が活性化すると言うのは幻想です。目的意識にせよ、データ構造にせよ、意思決定にせよ、1つづつ、小さな成功を繰り返し、その過程を経て強い組織を作っていく他ないと思っています。

その現実を無視して「ビッグデータこそが地方創生の切り札だ」とデータを押し付けるのは、バットもグローブも持っていない人たちや、9人集められないグループや、そもそも野球がじゃなくてサッカーがしたい人たちに、ホームランの打ち方を教える様な物ではないでしょうか。石破元大臣はじめ都会のビジネス最前線の目線や、流行りのワードに流されて、地方の本当に深い所を見れなかったのではないかと思う次第でした。