飄々楽住

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地方創生の失敗でよく言われる「無責任」と「利権」の正体

よく行政主導のプロジェクトは上手く行かないと言われます。誰も身銭を切らず失敗しても全く意に介しないから、利権が絡んでいるから、と言われます。今回は、この「無責任体質」とか「利権」とは何物かを深掘ってみたいと思います。

本記事のまとめ

  • 「無責任」とは最初に目的・目標を決めずに、何となくでやること
  • 「利権」とは、降格する仕組みがないこと
  • 行政主導のプロジェクトを任せる人に求められる最も大事な能力は「謙虚さ」

「無責任」とは最初に目的・目標を決めずに、何となくでやること

その第三セクターは、何を目指す組織ですか?

そもそも、出発点として、何を目指す組織なのかが曖昧な第三セクターが多い様におもえます。例えば、私が地域おこし協力隊の業務で携わった組織で実際に起きた例ですが、「この組織は何を目指す組織ですか?」という問に

  • 現場のトップ「行政からの指示を寸分違わずやり抜くこと」
  • 理事長「地元の事業者の売上を伸ばすこと」
  • 首長「指定管理をこなして(その第三セクターが)儲ける事」
  • 担当行政課長「地域戦略を立てて、そのマネジメントをする組織」

とバラバラな回答が返ってきた事がありました。このような状況下では、責任が出鱈目に運用されてしまいます。

toyokeizai.net

こんな理不尽な事例もあります。農業の分野で起業した人たちが、地元の農作物を活用して独自開発した加工商品が人気商品になると「今後は組合事業として取り組んで、一括して販売する。地元のルールがあるから勝手にやってもらっては困る」と半ば強引に事業を横取りされる、といったことも起きたりしています。

ここに悪例として書かれたことも、横取りした側の人間の目線で言えば、「地域の秩序を守ろう」と本人なりに必死に働いているのです。彼からしたら、この働きは評価されるべきことで、自身がトップとしての責任を完遂しているわけです。そんなことを実は周りは期待していなくてもです。

この様に、一体何を目指す組織なのか、設立の段階で誰も考えていなかった結果、上に立った人の胸先三寸で責任の有無が決まってしまったりします。こういう、「あの組織は何を目指すのか」と皆が言える基準が無いことこそが「無責任」の正体なのです。

補助金の都合上、「何を目指すか」より前に、「何をやるか」が決まってしまう

では、何故何を目指すのか曖昧な組織が出来るかというと、基本的には補助金の都合です。補助金は「やること」に対して補助が降りるのであり、「何を目指すか」に補助が降りるわけではありません。その結果、やることばかりが先にでて、何を目指すかが置いてきぼりを喰らいます。目指す先が無い為、「とりあえずやる」事に責任が伴います。それ以外の事に関しては、責任とそれに伴う権限の濫用が横行することになります。

この構造の元では、何のメリットになるか分からなくても、赤字垂れ流しでも、「とりあえずやった」事で責任が全うされることになります。トップはとりあえず補助事業で書いてある事の「やっている感」さえ出せば、自分の仕事を完遂したことになります。また、勝手に自分がつくった責任を押し通す事で、自身を高める事も平気で行うようになります。このような低い次元の意思決定がまかり通るようになり、更にはそういうトップを公平公正に批判する基準すら曖昧で誰も口出し出来ない状況が生まれます。

こうして、「無責任」にまみれた行政主導プロジェクトや第三セクターが完成するのです。

「利権」とは、降格する仕組みがないこと

行政や第三セクターは基本的に年功序列

基本的に、行政の人事は年功序列です。ある程度長く勤めれば、若干の差はあれど、課長クラスの役職をもらい、不祥事を起こさない限り定年まで勤めます。もちろん、役回りで、◯長"級"と、権限が伴わないケースが存在しますが、人事評価によって若手が抜擢されるというケースは殆ど無く、古来からの年功序列が染み付いています。

その行政が主導したプロジェクト、その下請け団体として作られる第三セクターもこの年功序列の人事制度が行われる事が多いです。

第三セクターは人事の新陳代謝が殆ど無い

行政の場合、トップ=経営者である首長が結果を出さなかった場合、選挙でクビにされます。また、一般的な会社も然りで、トップ=経営者が事業を失敗したら自身が破産する、もしくは株主総会や取締役会で解任決議を喰らいます。

一方で、第三セクターはどうかというと、一度経営者(理事長、局長、協会長など)のポジションに着いた場合、経営者が出鱈目な経営をしていても、基本的には降格人事がなされることはありません。また、行政と違い、組織の規模が10名前後の所が多く、基本的には一度年長者がトップに立つと、行政が補助金を止めて破綻をさせない限りは、トップが交代することはありません。人事権もトップに集約される事が多いです。その結果、前述の無責任体質も相まって、人事が固着し、トップに立った人がどんなに失敗を繰り返しても、居座り続ける事ができる構造が生まれます。

トップに立った人が経営資源=地域の資源を浪費しだす

もちろん、トップに立った人は、一生懸命地域のためと色々な事をしますが、前述した、責任が曖昧が故に暴走してしまうケースも多くなります。また、仮に、トップ自身、能力が追いつていない、上手く言っていない、失敗していると分かっていても、自分を解任するという事はまずしません。そんなことをすれば、それは自ら責任から逃げたということにもなってしまうためです。責任感の強い人程、ポジションに固執しがちなので、尚更です。

しかし、そういうことをしている間にも、どんどん、地方の資源、補助金というカネ、地域おこし協力隊や職員という若いヒト、地域の施設やブランドといったモノが有効活用されること無く、浪費されていきます。行政も国や県の補助金を使ってやっているプロジェクトを安易に中止するわけにも行かず、駄目経営者の元に資金や人材をドンドン供給していきます。

この地域資源が集まる組織の固着した経営人事こそが「利権」の正体なのです。

行政主導のプロジェクトを任せる人に求められる最も大事な能力は「謙虚さ」

さて、このような事が起きない為に、第三セクターの経営者に求められる能力ですが、本質的には「謙虚さ」の様に思えます。
自分でお金を出して、自分の責任の元に事業を行う場合は然程求められないこの能力ですが、こと税金で行う行政主導で、かつ、利権と無責任体質になりやすいが故に、必須の能力となります。その中でも、私の経験と教科書上、この謙虚さが無いが故に失敗しているなと思える大きく3つの謙虚さをご紹介致します。

経営計画や目標を立て、それに対して謙虚であれ

一番はコチラ。前述した何の為の組織かを煮詰めて、数値化し、ロードマップに落とし込んだ物です。それを自分が組織のトップとして全うしていく、その責任を自身に課す人でなければ、絶対にトップにしては駄目です。それが出来ないと、自分の落ち度は何かを俯瞰的に見ることは出来ません。また、誰も経営者の責任追及をすることすら不可能になり、結果、降格されることがなくなり「利権」化します。そのような状態に意識的にせよ、無意識的にせよ、甘えてしまわないように、自身に厳しいルールを客観的に作らなくてはなりません。

そういう意味で、面白いなと思うのが「f-biz」モデル。高額な年収の代わりに、単年度契約で、かつ、厳しい結果を求め、それを達成出来ないとクビにされるという制度です。評価する側がどう適切に評価するかという課題はあるものの、地位に甘える様な事を許さないというのは大事な要素に思えます。
www.huffingtonpost.jp

他人の助けを借りないと何も出来ないと認める謙虚さを持とう

上司として、自分が部下に対しての規範でなくてはならない、部下が間違わないか指導してあげなければならない。そういう責任感を持つ方は少なくないと思います。しかし、この態度、若手を統率する係長とかなら優秀なスタイルなのですが、こと経営者がこのスタイルを取ると、大体の場合、組織が機能不全を起こします。というのも、このスタイル、業務範囲で上司が優秀でかつ、真っ当な判断が出来る事が前提となるります。しかし、こと行政主導のそれなりの規模のプロジェクトの場合、経営という視点で幅広い事を見ていく必要があります。その結果、全てに監視の目を光らせ、全てを間違わずに判断することは人間の能力の限界を超えるケースが多いです。

この場合、優秀な経営者が取るべき行動は、自分が全てで優秀になることではありません。自分が出来ない事を認め、出来ない部分での優秀な人材を集め、育て、その人達に積極的に権限を割り振り、誇りをもって仕事をしてもらえるよう環境を整備することです。そして、それによって、経営計画を達成すること=有言実行を果たすことです。

しかし、自分が出来ない事を認めるという謙虚さを失うと、まわりを指導しなくてはならないという強迫観念や、周りは自分以下だという驕りが出てきます。出来ていない事を細かく指摘し、なんでもかんでも現場に介入し、「アレをしろ」「これをしろ」と細かく言うようなります。なんでも器用にこなせる優秀な人や、色々な事を考えれるアイデアマン程この罠にハマってしまいます。その結果、現場が自主性を失ったり、経営者の所で仕事がスタックしたり、専門家になりきれないが故に間違った判断を下す様になります。しかも、自分自身に組織の仕事が集中するが故に、今のポジションを辞めるに辞められない様になります。お金を出している行政としても、今この人に辞められたら組織が崩壊するという危機感を持ちます。そして、そのポジションが固着することで「利権」化し、「無責任」を放置してしまう構造を生みやすい構造を生みます。

何れにせよ、「俺がトップなんだから、俺の言う事は絶対だ」「俺が全部チェックする」と言うような人を絶対にトップに据えてはいけません。

失敗したと認めれる謙虚さ持とう

「あ、ヤバい、経営計画杜撰だわ…」「言ったことが全然出来ていない…」「間違った判断を下してしまった」「あぁ、自分の所に仕事が集中してしまったわ…」。経営者の仕事は本当に難しく、色々な失敗をしてしまうことでしょう。その時に、素直に失敗したと引き返す謙虚さが大事になります。それを認めず、負け戦を延々と続ける様な事をすると、それに付き合わざるを得ない部下の人生も負け戦に突き落とすことになります。そういう現場は、往々にして職員のやる気が低く、クオリティが低下します。そんな状況で、第三セクターが目標を達成することはまずありえません。

間違いを認める為のステップは以下の記事に纏めていますので、そちらもご参照下さい。

michihito-t.hatenablog.com

今年の私の目標は「もっともっと謙虚であること」

さて、私自身、地域の本質的な課題を解決する仕事をすることで、自分のふるさとが、誰もが働いてみたい町、みんなが憧れる町にしていきたいという漠然とした思いがあります。その為にも、改めて「謙虚さ」が大事なのだと、記事を書いていて痛感する部分があります。なんでも自分でやってやろう、自分は賢いので他人よりも凄いことが出来る、そんな驕りを捨てる必要があるのだと改めて思います。目指す世界をもっともっと具体化・客体化し、多くの人の助けてと言える勇気を持ち、失敗した時にゴメンナサイと言う、そういう人間になりたいと思った2018年2月1日でした。