飄々楽住

都会にはもう二度と戻りたくない、田舎ライフを楽しむ

地方創生とホンダF1から見る、若者に業を背負わす構造

地域おこし協力隊の私が言うと、かなり毒のあるタイトルですが、先に言っておきますが、私のいる大山町はかなり恵まれた環境にあると思っています。

今日このタイトルで記事を書いたかというと2017年のF1が開幕したからです。一見何も関係ないように見えて、実は繋がって見えた地方創生とF1。その思考の一端を纏めてみました。

本記事のまとめ

  • F1でホンダが駄目なのは、経営陣の真っ当な判断が出来なかった為
  • 地域起こしも上手く行かないのは、経営という視点が抜け落ちている事が多い為
  • 経営という視点が抜け落ちると、死地に現場の若者を追い込むことになる

F1のまとめ

F1ホンダの悲しい現実の簡単な説明

ホンダは2008年にF1から撤退、2012年にF1復帰を表明しました。準備期間は3年、2015年から名門チーム「マクラーレン」にエンジンを供給を開始しました。しかし、2015年は散々な結果。余りにも遅いエンジンで、鈴鹿サーキットで私の目の前で中堅チーム2台にごぼう抜きにされたのを覚えています。それから2年が経った今年の開幕戦、未だに低迷しており「ホンダのエンジンでは可哀想」と揶揄されている状態なのです。

www.as-web.jp

F1ホンダは散々なのは経営が出来ていない為

「レースは走る実験室」「上司に言われる前に動く」「若者の奇抜な発想を大事にする」というホンダ・スピリッツを元に、若いエンジニア達の育成の場としてF1エンジンの開発が行われました。エンジンの開発期間は2012年に参戦を表明してから僅か3年、しかも若手の育成を主眼にした体制を取ったことに、経営陣には何が何でも勝つという想いが全く無かった事が明確になっています。

一方で常勝チームのメルセデスは、ホンダが一時撤退する前、エンジンのレギュレーション(規約)が決まる前の2007年から開発を開始していました。どういうことかというと、メルセデスは経営陣が「F1をやり続け、圧勝する」という事に計画性をもってヒト・モノ・カネを集中投下し、F1の運営・レギュレーションにまで口を出していたのです。自分たちが勝つためには、F1のルールまで変える。辞めたり、再開したり、若者の育成の為、など場当たり的なホンダとは、全くもって経営陣の"やる気"が違ったのです。

f1-gate.com

ホンダF1の現場の若者達の辛い立場

ホンダのF1エンジニアに抜擢される人材なんて、理系の中でも相当優秀な人だと思われます。それでもなお、ホンダの若者が如何に開発に頑張っても、10年も前から組織全体でヒト・モノ・カネをかけて開発している人たちには中々勝てない。経営陣の力の差がメルセデスとホンダの間の大きな差に思われます。

更に、そんな中で「1年で世界一のエンジンを作ってみせろ」と無茶な要望。その要望に無理を重ねてチャレンジして失敗しているのが今です。その結果、世間の人々に「ホンダのエンジニア達に技術力が無い」と言われてしまいます。やっている若いエンジニアからしてみたら、飛ぶハードルは高く、そのハードルを越えられなければ「あいつらは無能だ」と言われる非常に辛いポジション。経営陣はそんな死地に若者を追いやってしまっているのです。そういう現場を与えてしまっている経営陣こそが、ホンダの失敗の根底にあります。

地方創生の若者に業を背負わす構造

よそ者、若者、馬鹿者以上に、経営が大事

話は変わって本題、地方創生の話。地方では「よそ者、若者、馬鹿者」を呼だ挙句、結局は死地に追いやるケースが多いように思えます。
大事と言われる「よそ者、若者、馬鹿者」以上に、地元の人(特に権限を持つ人)の意識や経営センスが大事です。
詳しくは、以下の記事がよくまとまっています。

www.projectdesign.jp

これまでの事例取材を通じて、編集部内で意見が一致したのは、従来、地域活性化の成功法則として言われてきた「よそ者、若者、ばか者」論は、すでに当てはまらないケースが続出しているということだ。

成功している、あるいはその兆しがあるという事例において、その中心人物へのインタビューを行うと、プロジェクトに「若者」や「よそ者」が入っていない、「ばか者」と呼ばれる人も不在であるというケースがよくある。

よそ者の若者で無鉄砲な人間であれば地域を良く導いてくれると言うのは幻想で、経営こそがその本質だと言われています。

当たり前ですが、地域おこしも「まずやってみる」、「成功したものは横展開していく」というゲリラ戦から、全員で取り組む組織戦に進化しなくては成長しません。そのために必要なのは「経営」であり、さらにその経営を「革新」していくこと(イノベーション)です。地域おこしは「経営力」を高めていく必要があるのです。

地方創生でも、無策なプロジェクトで若者が辛いポジションに

よくある、地方創生の失敗例は次のような物が上げられます。
枠組みの形式だけのどこかの成功事例を焼き増ししたプロジェクトで補助金を取ってきて、地域おこし協力隊を始めとした「若者の豊かな発想力でこれを成功させてくれ」という物。しかし、実際は、企画や設計といった花形の部分は既に補助金を取ってくる段階で決まっており、若者には一番大変な「調整」や「営業」といった大変な所を押し付ける。そして、若者が「これ、企画や設計に無理がありませんか?」「P/Lすらない全くデタラメな計画じゃないかっ」と思っても、「もう決まっていることだと」後の祭り。プロジェクトをまともに推進出来ないのは、「あの若者に実行力が無いからだ」と言われる始末。

toyokeizai.net

よく「地方活性化のために、若者のアイデアと行動力に期待したい」と言いながら、実際は自分たちがやりたくないことを押し付け、若者に支払う報酬は自分たちよりも低く設定するのに何の躊躇もなかったりします。

さらに、せっかく手を挙げてきた若者たちに「期待ほどではなかった」などと、「上から目線」で批判的な評価を平気で下したりします。そんなことをしているうちに、本当に誰も来なくなります。

色々聴く話から、経営者が真っ当な判断が出来ず現場に負を押し付けているホンダF1と似たような構造は、地元の有力者が地域おこし協力隊を始めとした若者に負を押し付けるという形で、地方創生でも起きているなと思う今日このごろでした。

それでもなお、地域起こしは面白い

課題が見えている事は、解決の為の道筋が見えている事とも同義です。経営計画を明確化する、人を育てる、仕組み化する、そういうった所を地道にやっていく事が第一義に思えます。経営計画を浸透し、一緒に仕組み化してくれる人と実行していくのが地域起こしの本質に思っています。そういうチャレンジが出来るのも「地域起こし協力隊」の魅力の1つに思っています。

しかし、いきなりよそ者が入ってきて、地域の経営をさせて下さいというのは、本当にハードルが高い事です。それを実現するために、1つづつ実績を詰み、地道に小さな成功を少しづつ重ねていくことが大事だと思っています。