飄々楽住

都会にはもう二度と戻りたくない、田舎ライフを楽しむ

その地方創生、インパール作戦化していませんか?

色々アイデア豊富な人たちの声を集め、大きな構想を描き、プロジェクトを立案して、地方創生予算を取ったものの…プロジェクトが広がりすぎ、誰も明確に成果がコレと言えなくなってしまう、「このプロジェクトは◯◯」と答えられなくなってしまう、上手く行っていない赤字プロジェクトに大勢が関わってしまう…貴方の自治体でもそんな事が起きていませんか?

安倍政権になってから、地方創生の予算は活気づき、色々な事が行われましたが、なんか上手く行っていない。何故そんな事態が起きるのか、実際に身近で起こった事を、少し大げさに私なりの視点で纏めてみました。

本記事のまとめ

  • 少ない資源を出鱈目に運用すると絶対に失敗する
  • 小さな成功の連続の先にしか大きな成功は無い

とある架空の自治体の話

最近地方創生で国も力を入れているのが観光。その観光を例に、とある自治体が大きな予算を取ってきたという架空の話をします。その自治体は、観光となるような場所に乏しく、観光振興は殆どされていませんでした。行政にも観光に携わる行政マンや観光協会の専従職員はわずか数名です。唯一、観光資源と呼べる綺麗な湖があります。その自治体が、県の観光振興の戦略の乗っ取り、地元住民の声を聞きながら、自治体職員が観光振興プロジェクトを立案することとなりました。その内容は、湖の魅力を活かした観光整備です。湖でのアクティビティ体験(カヤック等)、民泊の整備、湖周辺の空き店舗の活用、湖の畔でのイベントの開催、etc。観光客で賑わう湖の畔、そんな想いを乗せたプロジェクトは無事、国の地方創生予算に採択され、それなりの金額が補助金として自治体に入ってくる事になりました。

企画書通りの話で行くと、アクティビティ、民泊、店舗活用、イベント…やらなくてはならない事が山ほどあります。少ない関係者たちが奮闘し、何とか地域の人たちや他部署の助け、予算で期間職員を雇用して一つ一つ乗り切っていきます。とりあえず、湖のカヤックを購入をし、とりあえずイベントを行ってそれなりに人が集まってくれ、とりあえずコミュニティスペースを整備しました…

しかし、どれも「中途半端」なものが出来上がって行きます。イベントが無い週末は基本的にガラガラ。人が来てくれないので買ったカヤックは陸に上ったまま。コミュニティスペースは管理人を雇って管理はしてくれているけど、お客様は居ない日が続く。民泊もずっと赤字経営

「結局このプロジェクトは上手く行っているのだろうか?」そんな疑問が住民からも出てきつつ、来年、この補助金は当初の予定通り5年が過ぎようとしています。予算が切れた時に、期間職員の雇用や、使われていないカヤック、整備したコミュニティスペース等は一体どうなるのでしょうか?

さて、観光の地域振興を例にしましたが、六次産業化、スタンプラリー、大型イベント招致、市街地活性事業、住民発のワークショップ、移住促進、etc、貴方の自治体でも大なり小なり似たような事が起きていませんか?

少ない資源を出鱈目に運用すると絶対に失敗する

失敗の原因は手を広げすぎた結果、全ての戦場で負けてしまった事

上記の例の失敗が何故起きたかというと、自分たちの資源(ヒト・モノ・カネ・等)がどれだけあるかと、本当に大事なコトが何かを確りと把握出来ていな中で「アレもやろう」「コレもやろう」と手広く計画を広げてしまったことに原因にあります。責任をもってやり切る人が居ない状況にも関わらず、色々やることを手広く広げてしまった結果、やらなくてはならない最低限の仕事に忙殺され、全てのものが中途半端になってしまい、どれも鳴かず飛ばずで終わってしまっています。

分かりやすく戦争に例えます。自軍は10部隊、戦場も10箇所あるとします。どの戦場も8部隊以上を投入すれば勝てるとします。この場合、10部隊を一つの戦場に集中投下して、せめて1勝9敗を迎えるのが正しい戦い方です。しかし、先に上げた自治体のケースは、全ての戦場で戦うと申請書に書いてしまったが故に、全ての戦場に1部隊づつを投入し、全ての戦場で敗北してしまう、そんな状況が発生しているのです。

行政主導のプロジェクトは、予算を取ってくるためにバラ色・玉虫色の計画を書くが故に、戦場を広げすぎてしまう傾向にあります。その結果、自分たちの人的資源を超えたプロジェクトに、ごく少数のそれも素人集団で挑まなくてはならない、そんな状況が発生しがちなのです。

行政予算ほど恐ろしいものはない。

仮に自分の資本と責任で行っているなら、こういう状況に陥った場合、業績を客観的に見て、撤退する、もしくは一旦事業を停止して再度計画を練り直すという判断が迅速に下せます。

しかし、行政予算の場合はそう簡単に行きません。この手のプロジェクトが一度採択されると、やらなくてはならない状況になります。一度予算申請しておいて、やらないと、補助金が降りない、減額されるなどのリスクを伴う為です。また、予算が一度降りてしまった以上、その契約を果たすという事が公務員の仕事でもある為、関係者は今の自分たちの人員体制では難しいと分かっていても「とりあえずやる」ことを求められてしまいます。さらに、現場の担当者や公務員には、辞める・停止するの判断をする権限はありません。故に基本は続行しか選択肢がありません。

また、行政予算の性質上、権限を持っているのが誰なのか分からなくなるケースもあります。予算執行元の国なのか、県の観光戦略を取りまとめる部署なのか、事業計画元の首長なのか、予算執行先の第三セクター代表なのか、ステークホルダーが増えすぎてしまいがちです。当然、関係各位に何かしらの判断を持ちかける場合、調整、資料作成、合意形成などの業務工数が飛躍的に増えます。その結果、どんどん判断が先送りにされたり、たらい回しにされたり、情報を整備する人が居ないという事から、結局無難な「続行」が採択されるケースがあります。

更には、大型の工事や改修の予算が付いた結果、ハコモノ(この例の場合、民泊とか、空き店舗整備)だけが先行して行われるケースもよくあります。少ない経営資源しか無く、運営計画や人員計画が杜撰なまま、先にハコだけ出来るという、よく言われる地方の闇が生まれる温床にもなります。

その結果、辞める・停止する・大事な物だけに集中するという判断がされず、「やらなくてはならない最低限の事」に薄く広く資源を割く事になります。こうして、地域の貴重な資源を負け戦にドンドン投下せざるを得ない構造が生まれます。

私自身の体験談

実際、私も地域おこし協力隊の活動の中で「この企画を素人◯人で行うのは無理があります」「大事な要素に選択と集中をすべきです」という趣旨を具申した際に、「私に言わせれば◯人も居る」「一度決まった事だから変えられない」と切り返されてしまった経験があります。こう言われては、どうしようもありません。太平洋戦争で日本軍が少ない物資と出鱈目な補給でインパールに攻め入り全滅せざるを得なかったのも、きっとこんな状況だったのかな…というそんな印象を受けたのを鮮明に覚えています。

小さな成功の連続の先にしか大きな成功は無い

地方創生は素人の集まりから始まる

基本的には地方の田舎は、何をするにせよ、その道のプロや、マネージャークラスの人材がゴロゴロしているわけでもありません。特に行政主導のプロジェクトの場合、いきなり専門家を雇って出来るわけでもないので、基本的には素人の集まりからスタートすることになります。そんなスタートだからこそ、いきなり全ての事を上手く機能させようとしても上手く行くはずがありません。それ故に、小さな所から始め、素人が目的意識を持ち、主体的に知識を身に付け、積極的に動き、成功体験を重ねることで、プロへと成長していけるような組織運営をしていく必要があります。

よくある勘違い、「やってみることが大事」は危ない

地方創生でよくある勘違いなのですが、「やってみることが大事」「やらないと成功も成長もない」という発想があります。半分正解なのですが、必ず「勝てる戦に限り」という前提条件が付きます。敵兵が1000人コチラに銃口を突きつけた状態で、とりあえず戦ってみることが大事と戦場に送り出す様な指揮官や作戦では、現場の努力は無為に垂れ流されていきます。そんな現場では成功体験は生まれないし、素人がプロになることは絶対にありません。

一度決まってしまうと撤退が難しい行政のプロジェクトは尚の事、企画段階で大事なポイントは何かを明確化し、それに集中出来るよな企画立案、大事なポイントだけに集中出来るような組織運営、大事なポイントを適宜見直す様な体制づくりが明記されている必要があります。

3C分析が有効

この大事なポイントを見極めるためのフレームワークには、一般的には3C分析と言うものが使われます。簡単に言うと、己を知り、敵を知り、戦場を知れば戦に負けることはない、という基本です。この分析も、独善的なものにならないように、お互いにチェックしあい、多角的に見る事でより良い分析が可能です。ここでは3C分析は詳しく解説しませんので、どういうものか知りたい方はGoogleで検索をかけてみて下さい。

風呂敷を広げすぎた時は、選択と集中をし、小さな成功を重ねよう

地方創生にはPDCAみたいな事が、それこそ石破大臣の頃から言われだすようになりました。確りKPIを置いて、業績評価をしましょうという事が書かれています。

www.murc.jp

しかし、いくらそれっぽく業績評価(Check)をしたところで、次の行動(Action)に「戦場を更に広げて勝ちましょう」みたいな事が書かれた日には上手く行くわけがありません。もし、貴方の自治体で、大きく広がりすぎた構想をぶち上げて、どれも鳴かず飛ばずになっているとするなら、このPDCAのCheckの部分に3C分析を取り入れ、分析結果を元に洗い出した大事なポイントに選択と集中をする様な見直しを行ってみてはいかがでしょうか?

地方創生の失敗でよく言われる「無責任」と「利権」の正体

よく行政主導のプロジェクトは上手く行かないと言われます。誰も身銭を切らず失敗しても全く意に介しないから、利権が絡んでいるから、と言われます。今回は、この「無責任体質」とか「利権」とは何物かを深掘ってみたいと思います。

本記事のまとめ

  • 「無責任」とは最初に目的・目標を決めずに、何となくでやること
  • 「利権」とは、降格する仕組みがないこと
  • 行政主導のプロジェクトを任せる人に求められる最も大事な能力は「謙虚さ」

「無責任」とは最初に目的・目標を決めずに、何となくでやること

その第三セクターは、何を目指す組織ですか?

そもそも、出発点として、何を目指す組織なのかが曖昧な第三セクターが多い様におもえます。例えば、私が地域おこし協力隊の業務で携わった組織で実際に起きた例ですが、「この組織は何を目指す組織ですか?」という問に

  • 現場のトップ「行政からの指示を寸分違わずやり抜くこと」
  • 理事長「地元の事業者の売上を伸ばすこと」
  • 首長「指定管理をこなして(その第三セクターが)儲ける事」
  • 担当行政課長「地域戦略を立てて、そのマネジメントをする組織」

とバラバラな回答が返ってきた事がありました。このような状況下では、責任が出鱈目に運用されてしまいます。

toyokeizai.net

こんな理不尽な事例もあります。農業の分野で起業した人たちが、地元の農作物を活用して独自開発した加工商品が人気商品になると「今後は組合事業として取り組んで、一括して販売する。地元のルールがあるから勝手にやってもらっては困る」と半ば強引に事業を横取りされる、といったことも起きたりしています。

ここに悪例として書かれたことも、横取りした側の人間の目線で言えば、「地域の秩序を守ろう」と本人なりに必死に働いているのです。彼からしたら、この働きは評価されるべきことで、自身がトップとしての責任を完遂しているわけです。そんなことを実は周りは期待していなくてもです。

この様に、一体何を目指す組織なのか、設立の段階で誰も考えていなかった結果、上に立った人の胸先三寸で責任の有無が決まってしまったりします。こういう、「あの組織は何を目指すのか」と皆が言える基準が無いことこそが「無責任」の正体なのです。

補助金の都合上、「何を目指すか」より前に、「何をやるか」が決まってしまう

では、何故何を目指すのか曖昧な組織が出来るかというと、基本的には補助金の都合です。補助金は「やること」に対して補助が降りるのであり、「何を目指すか」に補助が降りるわけではありません。その結果、やることばかりが先にでて、何を目指すかが置いてきぼりを喰らいます。目指す先が無い為、「とりあえずやる」事に責任が伴います。それ以外の事に関しては、責任とそれに伴う権限の濫用が横行することになります。

この構造の元では、何のメリットになるか分からなくても、赤字垂れ流しでも、「とりあえずやった」事で責任が全うされることになります。トップはとりあえず補助事業で書いてある事の「やっている感」さえ出せば、自分の仕事を完遂したことになります。また、勝手に自分がつくった責任を押し通す事で、自身を高める事も平気で行うようになります。このような低い次元の意思決定がまかり通るようになり、更にはそういうトップを公平公正に批判する基準すら曖昧で誰も口出し出来ない状況が生まれます。

こうして、「無責任」にまみれた行政主導プロジェクトや第三セクターが完成するのです。

「利権」とは、降格する仕組みがないこと

行政や第三セクターは基本的に年功序列

基本的に、行政の人事は年功序列です。ある程度長く勤めれば、若干の差はあれど、課長クラスの役職をもらい、不祥事を起こさない限り定年まで勤めます。もちろん、役回りで、◯長"級"と、権限が伴わないケースが存在しますが、人事評価によって若手が抜擢されるというケースは殆ど無く、古来からの年功序列が染み付いています。

その行政が主導したプロジェクト、その下請け団体として作られる第三セクターもこの年功序列の人事制度が行われる事が多いです。

第三セクターは人事の新陳代謝が殆ど無い

行政の場合、トップ=経営者である首長が結果を出さなかった場合、選挙でクビにされます。また、一般的な会社も然りで、トップ=経営者が事業を失敗したら自身が破産する、もしくは株主総会や取締役会で解任決議を喰らいます。

一方で、第三セクターはどうかというと、一度経営者(理事長、局長、協会長など)のポジションに着いた場合、経営者が出鱈目な経営をしていても、基本的には降格人事がなされることはありません。また、行政と違い、組織の規模が10名前後の所が多く、基本的には一度年長者がトップに立つと、行政が補助金を止めて破綻をさせない限りは、トップが交代することはありません。人事権もトップに集約される事が多いです。その結果、前述の無責任体質も相まって、人事が固着し、トップに立った人がどんなに失敗を繰り返しても、居座り続ける事ができる構造が生まれます。

トップに立った人が経営資源=地域の資源を浪費しだす

もちろん、トップに立った人は、一生懸命地域のためと色々な事をしますが、前述した、責任が曖昧が故に暴走してしまうケースも多くなります。また、仮に、トップ自身、能力が追いつていない、上手く言っていない、失敗していると分かっていても、自分を解任するという事はまずしません。そんなことをすれば、それは自ら責任から逃げたということにもなってしまうためです。責任感の強い人程、ポジションに固執しがちなので、尚更です。

しかし、そういうことをしている間にも、どんどん、地方の資源、補助金というカネ、地域おこし協力隊や職員という若いヒト、地域の施設やブランドといったモノが有効活用されること無く、浪費されていきます。行政も国や県の補助金を使ってやっているプロジェクトを安易に中止するわけにも行かず、駄目経営者の元に資金や人材をドンドン供給していきます。

この地域資源が集まる組織の固着した経営人事こそが「利権」の正体なのです。

行政主導のプロジェクトを任せる人に求められる最も大事な能力は「謙虚さ」

さて、このような事が起きない為に、第三セクターの経営者に求められる能力ですが、本質的には「謙虚さ」の様に思えます。
自分でお金を出して、自分の責任の元に事業を行う場合は然程求められないこの能力ですが、こと税金で行う行政主導で、かつ、利権と無責任体質になりやすいが故に、必須の能力となります。その中でも、私の経験と教科書上、この謙虚さが無いが故に失敗しているなと思える大きく3つの謙虚さをご紹介致します。

経営計画や目標を立て、それに対して謙虚であれ

一番はコチラ。前述した何の為の組織かを煮詰めて、数値化し、ロードマップに落とし込んだ物です。それを自分が組織のトップとして全うしていく、その責任を自身に課す人でなければ、絶対にトップにしては駄目です。それが出来ないと、自分の落ち度は何かを俯瞰的に見ることは出来ません。また、誰も経営者の責任追及をすることすら不可能になり、結果、降格されることがなくなり「利権」化します。そのような状態に意識的にせよ、無意識的にせよ、甘えてしまわないように、自身に厳しいルールを客観的に作らなくてはなりません。

そういう意味で、面白いなと思うのが「f-biz」モデル。高額な年収の代わりに、単年度契約で、かつ、厳しい結果を求め、それを達成出来ないとクビにされるという制度です。評価する側がどう適切に評価するかという課題はあるものの、地位に甘える様な事を許さないというのは大事な要素に思えます。
www.huffingtonpost.jp

他人の助けを借りないと何も出来ないと認める謙虚さを持とう

上司として、自分が部下に対しての規範でなくてはならない、部下が間違わないか指導してあげなければならない。そういう責任感を持つ方は少なくないと思います。しかし、この態度、若手を統率する係長とかなら優秀なスタイルなのですが、こと経営者がこのスタイルを取ると、大体の場合、組織が機能不全を起こします。というのも、このスタイル、業務範囲で上司が優秀でかつ、真っ当な判断が出来る事が前提となるります。しかし、こと行政主導のそれなりの規模のプロジェクトの場合、経営という視点で幅広い事を見ていく必要があります。その結果、全てに監視の目を光らせ、全てを間違わずに判断することは人間の能力の限界を超えるケースが多いです。

この場合、優秀な経営者が取るべき行動は、自分が全てで優秀になることではありません。自分が出来ない事を認め、出来ない部分での優秀な人材を集め、育て、その人達に積極的に権限を割り振り、誇りをもって仕事をしてもらえるよう環境を整備することです。そして、それによって、経営計画を達成すること=有言実行を果たすことです。

しかし、自分が出来ない事を認めるという謙虚さを失うと、まわりを指導しなくてはならないという強迫観念や、周りは自分以下だという驕りが出てきます。出来ていない事を細かく指摘し、なんでもかんでも現場に介入し、「アレをしろ」「これをしろ」と細かく言うようなります。なんでも器用にこなせる優秀な人や、色々な事を考えれるアイデアマン程この罠にハマってしまいます。その結果、現場が自主性を失ったり、経営者の所で仕事がスタックしたり、専門家になりきれないが故に間違った判断を下す様になります。しかも、自分自身に組織の仕事が集中するが故に、今のポジションを辞めるに辞められない様になります。お金を出している行政としても、今この人に辞められたら組織が崩壊するという危機感を持ちます。そして、そのポジションが固着することで「利権」化し、「無責任」を放置してしまう構造を生みやすい構造を生みます。

何れにせよ、「俺がトップなんだから、俺の言う事は絶対だ」「俺が全部チェックする」と言うような人を絶対にトップに据えてはいけません。

失敗したと認めれる謙虚さ持とう

「あ、ヤバい、経営計画杜撰だわ…」「言ったことが全然出来ていない…」「間違った判断を下してしまった」「あぁ、自分の所に仕事が集中してしまったわ…」。経営者の仕事は本当に難しく、色々な失敗をしてしまうことでしょう。その時に、素直に失敗したと引き返す謙虚さが大事になります。それを認めず、負け戦を延々と続ける様な事をすると、それに付き合わざるを得ない部下の人生も負け戦に突き落とすことになります。そういう現場は、往々にして職員のやる気が低く、クオリティが低下します。そんな状況で、第三セクターが目標を達成することはまずありえません。

間違いを認める為のステップは以下の記事に纏めていますので、そちらもご参照下さい。

michihito-t.hatenablog.com

今年の私の目標は「もっともっと謙虚であること」

さて、私自身、地域の本質的な課題を解決する仕事をすることで、自分のふるさとが、誰もが働いてみたい町、みんなが憧れる町にしていきたいという漠然とした思いがあります。その為にも、改めて「謙虚さ」が大事なのだと、記事を書いていて痛感する部分があります。なんでも自分でやってやろう、自分は賢いので他人よりも凄いことが出来る、そんな驕りを捨てる必要があるのだと改めて思います。目指す世界をもっともっと具体化・客体化し、多くの人の助けてと言える勇気を持ち、失敗した時にゴメンナサイと言う、そういう人間になりたいと思った2018年2月1日でした。

マクラーレンF1チームに学ぶ、地方創生にダサすぎるものが多すぎる理由

今回はF1と地方創生を引っ掛けたはなし。F1(マクラーレン)のダサさから学ぶ、地方創生には何故ダサいモノが多いのかという示唆です。

本記事のまとめ

  1. わかる部分で駄目な意思決定をする組織は要注意
  2. 会社のブランドは「一挙手一投足」に意味を持たせるべき
  3. 地域のブランドづくりも、考え抜ける組織の先にしかない → 組織力が無いが故にダサくなる

わかる部分で駄目な意思決定をする組織は要注意

マクラーレンはダサくなった

セナ以降のマクラーレンの全盛期、1998年にミカ・ハッキネンが2連続チャンピオンを取った頃のマクラーレンのロゴとマシンを見てみましょう
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ロゴのコンセプト、カラーリングまで統一感があり、素直に格好いいと思えるマシンです。このロゴとカラーリングからは、「速さ=カッコよさ」という明確な統一されたメッセージや力強さが感じられます。
好みはあるにせよ、多くのファンが「格好いい」と口をそろえる、今のMcLarenブランド価値の源泉がココにあります。

一方2017年のマクラーレンはどうだったでしょうか?
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ロゴは適当なフォントの横並び、マクラーレンなのかホンダなのか分かりません。しかもホンダはホンダで全くホンダらしさの感じられないフォント感。トレードマークのスウォッシュを排除してしまっているのも謎でした。
更に酷いのはマシンのカラーリング。デビュー時から酷評の嵐。参戦して全く結果が出ずに撤退したスパイカーや、財政難で破綻した末期のアロウズを彷彿させるデザインは、将にテールエンダーを象徴するが如くでした。

f1-gate.com

結局2017年のマクラーレンは惨敗に終わった

2017年のマクラーレンホンダはチームランキングが10チーム中9位と、5年程前にチャンピオン争いをしていたとは思えない程の低迷ぶりでした。私はこの低迷は、この駄目なロゴやカラーリングの決定をしてしまうマクラーレンの経営陣にこそあったように思います。
もちろん、ホンダと安易な契約を結んでしまったり、ホンダの開発が遅れているのに対策をせずに2015年からのパートナーシップ契約に突入してしまった、その体たらくもこの辺りに見え隠れします。結果的に、マクラーレンはホンダとのパートナーシップの3年間でブランド価値を大きく落とす事となりました。

駄目な決定をするのにはそれなりの理由がある

少し古い記事ですが、とても面白い事が書かれています。

blog.sakanoue.com

一般論ですが、デザインが相当に違和感ある仕上がりになる場合、だいたい大きくわけで以下のような問題があることが多いです。

経営側が、素人であるに関わらず、色々勝手なことを言って変えさせる。
そして、プロであるディレクターやデザイナーが不本意にも、言う事を聞かなければならなかった。

OR

ヘンなのに、皆違うとわかっていても、途中で止めることができる人がいない。

一般的に、そのあたりが主な原因です。

つまり、そういうことが起きる時には

1.
専門職(プロ)からの助言に耳をかたむけない雰囲気

2.
ヘンだとわかっても、言える人がいない組織の雰囲気

将に、マクラーレンはそんな雰囲気に支配されていたのではないかと思っています。

会社のブランドは「一挙手一投足」に意味を持たせるべき

ここからは、F1の話ではなくて、教科書どおりの一般論を語ります。

考え抜いた先にしか、ブランドの価値は出てこない

神は細部に宿るという言葉があります。本当に細かい事を徹底的に仕上げたその先に、神々しさが現れるという事です。細部にこだわりは、とても難しく、そのことに精通し、一つ一つの事に真剣に考えられていないと、こだわり抜く事は出来ません。
「一体何のためにやっているのか」「拘った先に何を伝えたいのか」「これをこだわる事でどんなことが生まれるのか」本気で考え、やり抜いた先に神は宿り、それがブランド価値になります。

何のためにやっているのか、何処を目指すのか、細部に意味を与えるのが経営者の仕事

さて、このブランドを作るにあたって、「一体何のためにやっているのか」「拘った先に何を伝えたいのか」を明確にするのが経営者やリーダーの第一の仕事です。これを現場に任せると、ともすると、目的を失い、ただ何となく細かいことを気にしてしまう現場が生まれます。経営者やリーダーの思い如何に現場に伝播させるかで、目的や目標をブレさせることなく、細部に神を宿すことが可能になります。

現場が責任とプライドを持って細部にこだわるからこそ生まれる意味のあるカッコよさが生まれる

リーダーが想いを伝えるだけでは、現場は空回りすることも多々あります。「ふわっとしたことしか言わない」「明確な指示をくれない」こういう声は必ず現場から出てきます。また、リーダーが「ああしろ」「こうしろ」と専門的な現場に介入しすぎると、素人判断で出鱈目な意思決定がなされます。それ故に、リーダーは、優秀な人材に責任と権限を与えて、現場がプライドを持って目的と目標に向かって考え、やり抜ける組織を作る必要があります。リーダーだけでは達成しない神が宿る専門の境地がそこに生まれます。

目的と目標に共感して、細部を拘れる人材を育てる

とはいえ、なかなかそんな考え・やり抜ける優秀な人材、特に中小企業や地方には集まりません。また、いきなり完璧に細部まで拘れる人は都会に行ってもそうそう居ません。それ故に、リーダーは、責任と権限を渡すのみならず、その人の人生感や情熱に耳を傾け、積極的に技術や才能を開花させるように誘導して上げる必要があります。リーダーによる誘導と育成があって、はじめて、一般的な人材が一挙手一投足に意味を与えていく貴重な人材となっていきます。

地域のブランドづくりも、考え抜ける組織の先にある

ココまで書いてきた、考え抜く組織のポイントは3つあります。

  1. 目的・目標とその伝播
  2. 積極的に現場に責任と権限を与える
  3. 想いや熱意を元に人材を育てる

このような組織を元に地域づくりが出来る所は、色々失敗はするかもしれませんが、最終的には強く、大きなブランドを手に入れる可能性が高いと思われます。決して、地元の有力者が目的も無いまま事細かに指示命令したり、行政が勝手にやることを決めていたり、地元の宿泊施設やサービス事業者にすべてお任せでは、絶対に地域のブランドは出てきません。ともすれば、前述のマクラーレンF1みたいに、出鱈目な意思決定がされてしまい、大きく地域の価値を落とすこともありえます。言い換えれば、地方創生のネタがダサいのは、行政にせよ、地域組織にせよ、DMOにせよ、考え抜ける組織になっていないからではないでしょうか。

「あんなことをしよう」とか「こんなことがしたい」と、やることばかりが優先する地域づくりですが、如何に考え抜ける組織を作るのかという視点で考えた方が、上手くいくのではないか、そんな気がしている昨今でした。

地方創生にみるコミュニティ・ビジネスが失敗するたった2つの理由

それっぽいSEOを意識したタイトルを付けてみました。

さて、本題。コミュニティ・ビジネスというものが地方創生ではよく聴かれます。
私は、一見地方を活性化するために大事なこのコミュニティという言葉こそ、曲者だと思うようになりました。
コミュニティに潜む罠をご紹介致します。

本記事のまとめ

  • 失敗理由1.コミュニティとは何物かが曖昧
  • 失敗理由2.コミュニティの、誰が、何に、権限と責任を持っているかが曖昧
  • 上記2つが曖昧だと、馴れ合いになるか、継続せずに終わる
  • 本来ビジネスという側面だけを見れば、コミュニティという言葉ではなく、ステークホルダー(利害関係者)という視点で見たほうが良い

コミュニティ・ビジネスとは

まずは定義をおさらいしておきます。

コミュニティビジネスは、地域資源を活かしながら地域課題の解決を「ビジネス」の手法で取り組むものであり、地域の人材やノウハウ、施設、資金を活用することにより、地域における新たな創業や雇用の創出、働きがい、生きがいを生み出し、地域コミュニティの活性化に寄与するものと期待されています。

http://www.kanto.meti.go.jp/seisaku/community/index.html

図解もされているコチラも一見わかりやすく説明してくれています。
cb-s.net

失敗理由1.コミュニティとは何物かが曖昧

コミュニティ・ビジネスって、そもそもの言葉としておかしくないですか?

私がコミュニティ・ビジネスという言葉に対して、違和感を感じる一番の理由ですが、そもそもコミュニティが存在しないビジネスなど存在しないという点です。というよりも、人と人とがつながれば、そこにはコミュニティが形勢されます。いわば家族も、会社も、フリーランスの仕事ですら、何かしらのコミュニティです。では何故、わざわざコミュニティなんて言葉を使うのでしょうか?なんとなくふんわりとした、実に気持ちの悪い言葉を孕んでいるのがコミュニティ・ビジネスだったりします。

コミュニティ・ビジネスの失敗の原因の1つは、コミュニティの定義を曖昧な所からスタートしてしまうこと

ビジネスとして形勢されるコミュニティというのは、皆さん御存知の通り、結構目的が明確であり、そのコミュニティも厳格です。自分のやるべきことを明示し、どんな人と取引をするか確りと精査し、相手の利益は何かを考え、自分の利益を確保した上で、契約、納品、請求を行います。ですが、こと地方創生に於けるコミュニティ・ビジネスはこのあたりがかなりぼんやりしてしまいがちです。なんとなく既存住民でコミュニティを形勢したときに、様々な人が加わり、様々な想いがあり、そこには様々な経済活動があって、それぞれの人生や仕事があり、とても雑多です。野球に例えると、本気で甲子園を目指す人から、趣味で草野球をしている人、グローブを売りたい人、様々な人が集まります。そういうコミュニティは「目的」や「目標」が曖昧になりがちです。この中でビジネスをするというのは、基本的に困難を極めます。

定義が曖昧なコミュニティが陥る罠「アレやろう」「コレやろう」

よくあるパターンは、なんとなく地域の人たちが集まり、ワークショップが開催されます。そして、そこで議論されるのは、目的、目標ではなく「アレやろう」とか「コレやろう」という話。そしてコミュニティ・ビジネスは失敗していきます。詳しくは過去の記事をご参照下さい。結局、何となく成果として報告されて、殆ど価値を生まず消滅します。

michihito-t.hatenablog.com

かくいう私も、こういうワークショップを開催し、地域の方に来ていただいたのに、何も成果を残せず自然消滅させてしまった苦い経験があります。

http://www.daisen.jp/system/site/upload/live/22225/atc_1462201888.pdf

失敗理由2.コミュニティの、誰が、何に、権限と責任を持っているかが曖昧

組織は経営されないとそもそも上手く回らない。

コミュニティというのも一つの組織だったりします。その中で何かをしようとすれば、経営がなされなければなりません。経営とは、経営資源を明確化し、マネジメントしていくことです。コミュニティ・ビジネスの場合の、この経営資源って何ですかという問こそが前述の「コミュニティって何ですか?」という問に内包されます。そして、もう一つが適切にマネジメントされているかがもう一つの大事なキーとなります。

コミュニティの経営では、責任と権限が曖昧になりがち

マネジメントを突き詰めると、責任と権限を明確にして、その責任が全うされるように環境を整備し、一緒に考え、必要に応じて経営資源を分配してあげることです。ですが、こと、コミュニティという曖昧な物の中では、誰が何に責任を持つのか、どういう権限が誰にあるのか非常に曖昧な中で物事が動いてしまいます。そのようなケースでは、結局の所、何となく馴れ合いになったり、いやいやのボランティア活動になり、コミュニティとして価値を創出することは難しくなります。

考えるべきはコミュニティ視点ではなくてステークホルダー(利害関係者)視点

以上2点見てきた様に、コミュニティ・ビジネスという言葉は往々にして、曖昧であり、よく分からない物になりがちです。それ故に、空き家再生や、DMOといったコミュニティ・ビジネスに分類される物であっても、コミュニティという曖昧な言葉ではなく、ビジネスの基本どおりにステークホルダーという言葉を使うべきだと考えます。
ステークホルダーという言葉を使うことで、どんな目的(利害)の為に団結するのか、その利害に誰がどのように関係し責任と権限をもつのか、必然と厳密に考え抜かざるを得ません。

もし、貴方や貴方の周りの人が「コミュニティをー」とか、もっと言えば「横のつながりを大事に」とか、「地域をもっと巻き込んで」といった曖昧な言葉を口や耳にしたら、少し立ち止まって見ましょう。そして、ステークホルダー(利害関係者)という目線で物事を俯瞰的に見るよに心がけてみてはいかがでしょうか?

2018年 地方創生業界で起こる5つの予測

皆様あけましておめでとうございます。
2018年、我らが鳥取大山では開山1300年の年を迎えました。

今回は新春ということで、地方創生業界で2018年に起こりそうな事を5つピックアップ致します

安倍政権下での地方創生の大反省会

安倍政権以降、様々な地方創生政策がなされてきました。地方創生石破さんが大臣に就任したのが2014年9月。それから、何兆円というお金が動いて来ました。しかし、実際に成果といえるものはどの程度あったのでしょうか?実は多くが失敗しており、無駄と消えていった物が多かったのでは無いかというのが私の見立てです。厳密に言うと、『成功』と『失敗』の線引がされず、何となくやってやりっぱなしの物が多く、結局アレどうなったんだっけ?となっている物が、どの自治体でも見て取れると思っています。
失敗に関して詳しく述べた記事はコチラ↓
michihito-t.hatenablog.com


今年はその大反省会が行われる年に間違いなくなります。というのも、9月に行われる自民党総裁選で、石破茂議員が地方創生を謳って立候補すると思われます。それにあたって、一体いままでどのような地方創生がなされてきたのか、顕在化しなかった失敗が、どんどん表沙汰になり、色々とマスメディアを賑わすことでしょう。

上手くいかないプロジェクトに関わった悶々として過ごした皆様、その想い、今年こそ広く公開していくべき1年になると思います。成功事例ではなく、失敗事例をドンドン発信していってもらいたいです。
失敗は悪いことではありません、挑戦したからこそ失敗もしているのです。しかし、失敗を失敗と認めずに、惰性で赤字の拡大を続けていく事ほど、無駄な事はありません。
だからこそ、隠さず、何故失敗したのかを振り返り、それを積極的に発信していくことで、そこから得られた学びは社会全体の利益になります。
そしてその効果は、石破さんが地方創生を掲げて総裁選に出る今年だからこそ、脚光を浴び、より大きく社会問題として提起できる2018年だと思われます。

尚、失敗を聞きたいという方は、私もいくらかお話することが可能ですので、ご連絡ください。

都会の広告代理店やコンサルが使われなくなる

失敗が可視化されていくのに当たって、都会から地方を変えるという事の限界が叫ばれる1年になることでしょう。地方の失敗の原因は端的に言えば、経営とマネージメントにあります。そもそも補助金の受け入れ団体の経営者であったり、行政の仕掛人たちが、経営目線や数値で議論するような体制が出来ていないのに、外部のコンサルが入ってきて「あれしましょう」「これしましょう」と言っても、基本的にはまっとうな物になることはありません。

↓うまくいかない理由を纏めた記事がコチラ
michihito-t.hatenablog.com


また、外部のコンサルに料金を払い続け、成功に導ける程の財政的な余裕も無い為、スポットで終わってしまい、結局は前述したような、『成功』と『失敗』の線引がされず、何となくやってやりっぱなしの物が多く、結局アレどうなったんだっけ?となっている物となります。基本的には、経営者の意識が変わらない限り、コンサルや開発会社をなんぼ呼んでも意味が無いのです。

そういう失敗事例が過去4年で山のように積み上がった結果、地元の経営意識、体制をなんとかしなくてはならないという流れにドンドンシフトしていくように思われます。地方に居て地方の経営課題を確りと見極めて、解決してくれる人材が求められる様になります。その結果、都会から高額な報酬を要求するコンサルに頼む事を辞める自治体が増えてくると思われます。

地方のマネージャー人材の高額招致の増加

地方の課題を中央から解決するのは難しく、地元の経営が変わらなければならないという話をしてきましたが、その中で問題なのは改めて経営・マネージャー人材の不足です。とは言え、2018年は超絶売り手市場、特にマネージャークラスの人材はどこも喉から手が出るほど欲しい人材。なかなか居ないというのが実態だと思います。また、後継者の居ない中小企業であったり、とにかく地方はマネージャークラスの人材を喉から手が出るほど欲しい状況が今後とも続くと思われます。年収最低600万円クラスで、マネージャー職を募集という様な事を取ってくる自治体なり、第三セクターなりが増えてくる事が予想されます。

また、地域おこし協力隊の年収200万円で来る人材は、これまでほど機能しなくなる可能性が高いです。というのも、世の中は完全売り手市場ですので、なかなか優秀な人材が集まらない可能性の方が高いです。

地方を相手にした人材ビジネスの戦国時代突入

地方で足りていないのはマネジメント人材不足もさることながら、それ以外にもデジタル人材、介護人材など、とにかく人で不足が顕在化してきました。また、鳥取県内でも有効求人倍率が1.65と非常に高い水準が続いています。そんな状況の中、都会の大手から地方発まで含めて様々な形の地方人材ビジネスが勃興してきています。

大手では都内のキーマンを地方につれてくるという「ビズリーチ 地方版」は自治体との連携を増やしていたりします。また、地方発では香川の地域おこし協力隊の秋吉さんが立ち上げた「hitode」という暮らし方に密着した人材ビジネスなんかもされていたりします。鳥取では高林さんが立ち上げた鳥取で人材育成・紹介を手がけていくという「株式会社ダブルノット」も。大小様々な地域で色々な人材ビジネスへの挑戦が始まっているのだと思われます。これらのサービスが今後もドンドン出てくるのだろうなと思われます。

スピード重視 ライト観光動画広告

さて、最後は少し毛色の違う話をば。昨今、観光動画プロモーションの重要性が高まってきています。動画は静止画以上にリアルな感覚で伝えてくれる良いツールです。その為、観光プロモーションにはうってつけとされます。ただ、動画プロモーションはお金がかかる。1本数十万〜数百万というオーダーで発注し、時間をかけて作る物でした。また、テレビCMを打とうと思うと、数十万/月が飛んでいきます。

しかし、そんな時代も過去の物となってきています。youtubefacebookを始め、動画クリエイティブを比較的費用を抑えて配信することが出来るようになってきました。また、最近はAIで自動でショートムービーを作ってくれるアプリなんかも出てきています。

funtre.com

これからは、その時々の良いものを、手早く、スマホ撮影等で、時間をかけず、ドンドン発信していくのが主流になっていくのではないかと予想しています。それ故、これからの観光の現場がプロモーションでやるべき事は、大きく2つに集約していくと思われます

  1. マネジメント:プロモーションの目的、KPI、ターゲット、配信チャネル、予算(原資)を明確にする
  2. 素材集め:とにかく素材を現場に行って取りまくる

このスキームを上手く使いこなし、確りと自分たちの魅力を伝え、ビジネスとしてスケールしていく地域を作った地域が勝ち組となっていくことでしょう。ちなみに、動画のみならず、WEBサイトもコーディングなんかはAIが勝手にやってくれ、勝手に良いデザインをチューニングしてくれる、そんな時代がすぐそこまで来ていたりもします。

また、動画広告の運用、特に前者のマネジメントの部分でお困りの方がいらっしゃいましたら、是非私までご連絡ください。


さてさて、以上5つ上げてみましたが、2018年は地方創生の1つの転換点になっていくのではないかと思っています。新年一発目に、何となく他人事目線で記事を書いてみましたが、私もこの流れを見極めて確りと自分のポジションを築いて仕事をしていければと思っています。
※今年の抱負などは別途記事にしたいなと思っています。

悪徳SNS対策業者、そしてネット選挙と自民党総裁選

一応私、元大手の広告ポータルの運営をしていた手前、SEOとかSNS対策とかWEBプロモやWEBマーケティングにはそこそこ精通している身であります。そんな私が、最近Twitterをやっていて思うこと、フェイクニュースや悪徳SNS対策業者をどう対処するか。特に政治の世界では、大問題なのかと思い出したので纏めておきます。

本記事のまとめ

WELQ問題は、リライトツールやbotによる大量記事生成という「技術」を活用していた

WELQ問題って何?

WELQとは、DeNAが運営していた医療・健康系の情報のいわゆる「まとめサイト」で、今は閉鎖されています。
その閉鎖された経緯ですが、2016年の11〜12月頃他サイトからの画像や文章の転用が問題になり、世間を大いに賑わせました。

dena.com

当時SEO(検索エンジンで、検索順位を上に上げる方法)界隈で流行っていたネタが、以下のようなものでした

  1. 該当キーワードの検索順位1〜10位くらいまでの他ページの情報を調べ上げる
  2. 項目を列挙する(例:「お尻 痒い」というキーワードならば、「原因は何か」、「効く市販薬は何か」、「疑われる病気は何か」など)
  3. 項目をすべて網羅したページを作成する
  4. 上記の様なページを大量に作成する

これを安価でやろうとすると、必然的に文章や画像が盗まれたり、科学的に根拠のない話題も含まれたりし、低品質な情報があふれかえる事になります。
結果、それらが社内で制御ができなくなり、閉鎖に至ったというのがWELQ問題のざっくりとした経緯です。

WELQを支えた技術は出会い系仕込みのリライトツールとbot

では、これらのページをどうやって大量に生み出したかというと、簡単に言うと、そう言う「ツール」を使ったのです。
やまもといちろうさんの記事が非常によくまとまっていますので、一部引用させていただきます。
詳しくは、ご参照いただければと思います。

news.yahoo.co.jp

しかしながら、実際にこの手の記事の量産を担っているのは、だいたいにおいて人間ではありません。「サクラ」であり「肉袋」である、コピペロボットです。

もしも、いまお手すきでしたらこの記事を読み終わった後で「リライトツール」と検索していただければすぐわかります。ネットでは、1万5,000円から高価なもので4万円程度のソフトウェアが売られています。どれも万全なSEO対策、作業時間短縮といった機能が並び、これらのソフトを購入してきちんとチューニングすれば、クラウドワークスなどから提示される執筆のレギュレーションを満たし得るサイトから元の文章をソフトウェアに流し込むだけで、10万種類以上のリライト文章を生み出すことができます。

さらに、これらのシステムを転がすだけではネットで記事を探し回ったり、複数のサイトの記事をつなぎ合わせるなどいちいちマウスをポチポチやらないといけません。なので、コピペとリライト作業をもっと効率化するために「お目当てのキーワードを入れるだけでネットから品質の高い記事をコピーしてきてリライトソフトにぶち込んでくれるBOT」が出回ることになります。その威力で申しますと、BOTとリライトソフトの組み合わせで一日2時間サーバーを転がすだけで300本ほど約2,000文字の記事が出来上がります。

残念ながらBOTは一般には売られていませんが、これらのBOTが流通している背景は、いまはもうなかなか儲からなくなった出会い系サイトの運営技術があります。

簡単にいえば、

  1. 文体や業体を変えるリライトツール
  2. 複数のサイトの情報をつなぎ合わせて、自動投稿するツール

の2つを利用して、検索順位上位を支えていたということになります。

Twitterを始め、SNS対策にこそリライトツールやbotでのステルスマーケティングは非常に有効

SNSWELQで暗躍したツールの相性は「最高」

さて、これらの低品質でともすればユーザーにとって害悪なSEO的な手法はWELQ問題を境目に、若干の落ち着きを見せました。
が、SNSの世界ではどうでしょう。容易にこれらのツールがSNSに持ち込まれていることが想像が付きます。

SNSでは、ある事象に対して、共感している人が多い、共有やいいねが多く、かつ、話題にしている事は社会的なインパクトがあります。
具体的にどういうことかと言うと

  • 何万というアカウントが
  • 同じ趣旨の事を発信している
  • これらの事は「みんな言っているのだからそうに違いない」という心理が働く

これらを人為的に演出するのにまさに、リライトツールと出会い系仕込みのbotが得意とする領域です。

  • 同じ趣旨の事を違う文体にするリライトツールを組み合わせ
  • 何万というアカウントをbotで自動操作し発信する

非常に簡単に出来てしまいますよね。

ステルスマーケティングは一般的にNG

さて、これらのbotとリライトツールを駆使して何が出来るかというと、SNSを使ったステルスマーケティングが出来ます。
消費者の「他人の評価が気になる」とか「自分では判断がつかないから詳しそうな他人の声を聞きたい」という層を、簡単にいえば「騙す」手法です。
広告というのは、広告主が誰か分かり、かつ、それが広告であることが分かる事が大前提で、それを見た時に消費者が正しく判断出来る環境が望まれます。
ステルスマーケティングは一般的には卑劣な行為とされ、国によっては禁止されています。
因みに、日本では、SNSにおけるステルスマーケティングはグレー領域で、業者が横行しているとされています。

特に政治の世界では、お金で買った偽装擁護などは禁止されるべき

クラウドワークスに出た、保守系blog記事執筆依頼

少し前に話題になったネタですが、SEOの記事大量生成の下請けとなったクラウドワークスに政治主張を煽る記事を生成の仕事の依頼が掲載されました。

news.nifty.com

憲法9条を改正し、軍隊を保有すること、等の他、何故か、鳥取県出身の政治家の石破茂さんを批判する趣旨が掲載されています。また、Twitterで「石破」で検索をすると、これ人間?と思うアカウントが「石破を首相にしてはいけない」とかを投稿しているのを多数見かけます。この手の物を見るに、あぁやっぱりと思うわけです。実際に政治の世界でもこの手の事はされているのだろうな、と邪推してしまいます。

ポスト安倍的な人は全般的に叩かれる傾向

www.sankei.com

石破さんに限ったことでなく、野田聖子さん、小泉進次郎さんなどものすごく悪く書かれているような物が相当目につきます。小泉進次郎さんなんてまだ当選4回の若手にも関わらずこの扱い。野田聖子さんも総裁選出馬騒動以降、ものすごいボロカスに叩かれています。苦言を呈している石破さんはともかく、野田聖子さんまでネガティブなコメントであふれかえるというのは少々異常です。なんだかんだで邪推してしまいます。

政治家によるステルスマーケティングは禁止すべき

石破さんの例は非常にわかりやすいですが、お金さえ出せば、この様に政敵をネットで晒し上げる事はとても簡単です。新聞記事などからblogやまとめページを生成し、SNSで拡散し、ネガティブなコメントをつけ、あたかもその人が嫌われている様に作り上げれてしまいます。
もちろんその逆、自身のSNSにポジティブなコメントを大量に買い付け、あたかも「応援してくれている人が多い」ように演出することも可能です。立憲民主党Twitterアカウントのフォロワーが一斉に増えたというのも、何かしらのbotの狙い撃ちにされているではないかというデータも挙げられています。

togetter.com

ネット選挙が解禁され、SNSの活用が叫ばれる昨今、本来この手のステルスマーケティングを規制する側の政治家が、いの一番に使うような事態は絶対に避けるべきでしょう。プロモーションを広告代理店に丸投げして、「よしなにー」とやっていたら、コメントを大量にbotで生成していたなんてことは本当にやめてほしいです。また、一部支持者が、自費を使って政治家や政党のアカウントにコメントをつけまくる事もあってはならんでしょう。

故に、最低限

  • 政治家からの情報発信は、政党公認のSNSアカウントもしくは、公式の個人SNSアカウント、公式HP、公式Blogに限定
  • 政治家が対価を支払って、第三者を偽装した記事やSNS投稿を買うことの禁止
  • 政治家、及び、政党の公式SNSアカウント、公式blog等にbotを介した応援や政治内容を含むコメント投稿の禁止

くらいの規制は踏み込んでやってほしいと思っていたりします。

希望の党と、民進党解党騒動からみる、地方と政党のあり方。選挙の投票の仕方

やっぱり、民進党は地方に全く根ざしていない、国会議員も仕事をしていないということが分かった何か。

本記事のまとめ

  • 政治課題解決するためには組織が必要
  • 国会議員が幹、地方組織を葉とした、マネジメント出来る強い政党組織が必要
  • 勝手に離合集散する国会議員は仕事をしていない
  • 地域や支部をマネジメント出来る候補者か判断して投票しよう

政党ってなんだろう?

政治課題をみつけ、一般化し、国の法として規定する「組織」

政治家は、より良い国を作るために、政治課題を解決する人たちの事です。その政治課題は非常に多岐に渡ります。どこに道路を通すかというレベルから、他国との戦争や安全保障といった事まで裾野は広く、本当に様々な事を解決していかなければなりません。そんな広い政治を、一人の人間が全て担えるわけありません。だからこそ、徒党を組み、分業し、一人ひとりが専門性を持ち、上から下へ、下から上へ、いろいろな事を組織で解決する、それが政党の基本です。どんな国を作るのか、どんな地方にするのか、どんな家庭が幸せなのか、その方針に共鳴し合う人たちが集まり、喧々諤々議論の上、戦略をたて、課題を一般化して、法律や条例を整備していくわけです。個人(一党員)、自治体、都道府県、国、それぞれの粒度で、連携しあう事で相乗効果が生まれ、より良い社会が出来る、それが政党と言うもののはずです。

国会議員が幹、地方組織を葉とした、マネジメント出来る強い政党組織が必要

一般的に、国のレベルになればより一般的な大きな問題を、都道府県は中規模の調整を、自治体はより現場に即した課題解決が求められます。これらはすべて繋がっています。国会議員は県や自治体で何が起きているのか、国レベルでどのような対策が望まれるのか意見集約し、一般化して法律を作っていきます。その為には、確りとした地方組織が必要であり、国会議員もその地方組織と二人三脚で政治を変えていかなければ、下から上へのボトムアップの大事な課題を見失います。故に、国会議員、特に党の地方支部長や会長になるような人物は、この地方の政党組織を機能させる様にマネジメントすることが必須の条件となります。言うなれば、国会議員は幹。どの方向に枝を伸ばすかを決め、地方は枝葉となり、木全体が大きく成長出来るように栄養を送る、それが理想の政党の姿です。

民進党の体たらくの本質

勝手に離合集散する国会議員は仕事をしていない

93年の政界再編といわれてから25年、たけのこの様に政党がにょきにょき生えては、泡のように消えていきました。大阪維新の会(の大阪部分)を除いては、殆どが国会議員による、地方無視の政界再編です。本当に地域に根ざし、理想の政党の姿をしていたら、勝手に離党して、勝手にビジョンをコロコロ変えて、そんなこと出来るはずがないです。でも、国会議員は平気でそれをやってきました。それは、端的に言えば、地域に根ざさず、政党を組織として機能させるマネジメントをしていない事に他なりません。

民進党は仕事をしていない議員の集まり!?

2017年9月、解散総選挙が言われて一週間かそこらで民進党は解党し、小池知事の希望の党に合流するという話が上がっています。でも何故こんなことが起きているのでしょうか。すべて議員がそうだとは言いませんが、多くの議員が口先だけで、本当に活動をしていない、そんな議員の選挙互助会としての党だからではないでしょうか。だからこそ、危機的状況に際して、勝手に国会議員が右往左往し、自党の存在意義が薄れ、次の選挙で勝てないと慣れば、続々と離党者が出て、解党するという事に僅か数日でなびいてしまう。そこに「地方」は置いてきぼり。本当に地方に根ざした政党を仲間と作ってきた人なら、そう簡単に離党や解党なんて言い出せないはずです。本当に残念な政党の末路だなと思う次第です。

地方創生に見る、2017年、総選挙のポイント

政策の良し悪しや、風や空気感は判断基準にならない

よく、政策の一致度合いで決めなさいと言われますが、実際は不可能です。国政で起きている課題を網羅し、様々な著書や意見を調べ上げ、何が正しいのか自分の中で結論を持ち、総合的な判断をするのはとても難しいですし、そんなことが本気で出来ているなら、今直ぐ霞が関の官僚か、政治家のブレーンになるべきです。とはいえ、風や空気感という一時的な勢いであったり、◯◯が嫌いだから、とか短絡的な事で決めるのもオススメしません。辺野古移設反対、消費税は上げないといった勢いで政権交代を実現した民主党政権はその後どうなったでしょうか。数百万円の贅沢やダサいボランティア衣装を叩き、数十億円の費用のかかる再選挙をした都知事選、果たして本当に良かったのでしょうか。

周りの声から、候補者が本当にマネジメント出来ているかを聴いてみよう

だからこそ、身近なところを見てみて下さい。候補者の声だけでなく、県連や支部の人たちや地方議会の人の声を是非聞いてみて下さい。その候補者が本気で地域と繋がりを創り、関係を築き、政治をマネジメント出来ていそうか、それを見極めて見て下さい。候補者の周りの人から、地域にかける熱意、ビジョン、思い、戦略が語られて来たのなら、その候補者は本物です。逆に、地元のことではない、「アベ政治がー」とか「憲法改正がー」とか「リフレ政策がー」とか、そんな事ばかり話しているなら、その人は偽物です。そんな、地方に熱意を伝播出来る人、そんな仲間を作れる人物を、より多く排出することこそ、本当の政界再編であり、政党政治のあるべき姿なのではないでしょうか。永田町中心の政治、東京一極集中の腐った政治にNoを言い、本気で地方創生をするなら、より地元に根ざした組織、地元とつながる国会議員を排出するのが、地方に住む人間の役目ではないでしょうか。